2022年6月18日(土)、長い長い道北旅行もついに最終日です。
礼文島の民宿で目が覚めます。そうか、今日でこの旅行も終わりかと思うとさびしいものがあります。身支度を済ませ、フェリーターミナルに向かいます。朝食代わりにフェリーターミナルのベンチで、昨日セコマで買ったプロテインバーをかじります。
↑礼文島のあつもんなるキャラクター
フェリーターミナルで待っていると、礼文島の高校生?中学生?が同じフェリーに乗船。どうやら部活の遠征のようです。といっても、行き同様半分近くがク○ブツーリズムなどのパック旅行の老人たちでしたが。
↑香深フェリーターミナルから出港。日本三大バカユースホステルのなんちゃら荘の人たちが、旗振り見送りに来ていました。昨日到着した時もいらっしゃって、どうやら父が現役で日本各地を旅行していた40年近く前からあるユースホステルだとか。
フェリーは行きとは違う船ですが、横になることはせずに座席に就きます。こちらも酔い止めを飲んでいたおかげか、全く酔わずに済みました。本人の酔いやすさ以上に、フェリーが安定しているか、波がどうか、というのがカギとなりそうです。
稚内港に到着するとその足で南に歩いて行って、稚内市樺太記念館に。樺太開拓の歴史が分かります。同じ時間帯に来ていたスーツのオジサンたちが「これすげえわ!今と変わんねえじゃん!」と絶叫していたのが、北海道と樺太を結んでいた海底ケーブル。明治時代にこれが既にあったというのがすごいなあ、という、おじさんたちと同じ感想です。
30分ほど見て、下の階の副港市場を徘徊。稚内空港の土産店は小さい、ということは調べてあったので、お土産を買いあさります。といっても、渡す相手は限られていますが。
合わせて、ちょうどお昼時だったので稚内黒牛のハンバーグなるものを食べました。海鮮ばかりというのも飽きるから間あいだに肉をはさむんだ。
再び歩いて稚内駅に戻ります。14時台の空港行バスをひたすら待ちます。
待ちながら、そういえば友人M氏は羽田空港の近所に住んでいるので、久しく会ってないし土産でも買って帰るか、でもあいつチーズ嫌いだし、なになら食うかな…?ということでLINEをします。
ぼく「今日の夕方羽田に行くんだけど、お土産渡したいから何がいい?」
M「お、いいね。チーズ以外ならおいしくいただきますわ」
ぼく「実は今稚内におりまして」
M「は?それはさすがに草」
ぼく「じゃあチーズ以外のもの買って行くね」
ということでウニふりかけを買いました。
しばらくグラブルなどして時間つぶしをしていると、バスがやってきました。バスに乗って稚内空港へ。バス内では大学の教員らしき人物とその教え子らしき子が色々会話をしていました。「休講にしようと思ったらできなかったわwまだ準備な~んもしてない」なんていう懐かし会話が(どこが?)。
↑普段は羽田便と札幌便しかないのですが、この日はチャーター便として大阪便がありました
稚内空港は小さい空港で、ANA/JAL合わせて数える程度しか発着しません。ということもあってか、待合室は老人たちでパンパン(礼文島からのフェリーの老人たちですね)。そういえば稚内港の土産物屋でもいました。大体行くところというのは限られているようです。
ここでお土産その2を購入して、機内へ。案の定前も後ろも隣もみ~んな両親より年上の70代以上のご老人ばかり。大変結構なことでございますな。
17時半過ぎに羽田着。今までの冷涼な気候から、ムシっとした関東の、いや東京特有の湿度がまとわりついてきます。それと同時に、「やっぱりおれはここで生きていくんやな」というなんともいえない諦念がやってきました。
バックパックを預けていたので、それを回収して友人との待ち合わせ場所に。
こおひいを飲みながら色々話をします。
ぼく「今年こそ修了できるの?」(彼は物理系のD5(博士後期課程5年目)です)
M「本論は書けたが序章が書けねえ」
ぼく「ファーーーーーーw」
こんな感じであとはグラブルの話をして、ついでに二人で丸亀製麺を食って帰りました。
行きはモノレールだったので帰りは京急空港線に乗って帰ったら、京急蒲田の手前で猛烈な腹痛に襲われ、品川駅に着くやいなやトイレに駆け込みました。やはり丸亀製麺で揚げ物を頼むと100%下痢をします。絶対に油が悪いと思います。
ということで品川から京浜東北線に乗って東京宅に着いて、旅は終わりとなりました。
最後が丸亀製麺で下痢、という何とも締まらない形になりましたが、翌日グンマーに帰る際に、なんと特急内にスマホを忘れてくる、というおまけ付きです。
次の記事では「持って行ったもの」や「費用」などのお役立ち情報を書こうかと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿