また690円で髪を切った/本物を知る不幸

2022-05-30

雑記

髪を切りました。50日ぶりです。今回は間隔が短かったですね。有給休暇を取ったおかげか、余裕をもって690円の時間帯に行けました。なんか新人のお姉さん(自分と同世代?ちょっと上くらい?)が入ってきていましたが、順番の関係であまり上手ではないおばちゃんに当たってしまい、一世代前の髪型になりました。

引き続き、湯シャンと石鹸不使用は続けています。糖質制限は、意識してはいますが、なかなか難しいですね……。

皮膚は抗ヒスタミン剤の頻用が功を奏してきたのか、かゆみが無くなってきました。湿度が高い初夏ということもあるのでしょうけど。

今日は有給休暇でしたが、ここ最近週末で精神的に疲弊するイベントが連続したせいか、はやめにお昼ご飯を食べた後にひと眠りして、夕方にもさらにひと眠りして、ロードバイクにも乗らずにゴロゴロ、だらだらしていました。こういう日があっても良いでしょう。



本物を知る不幸について。

例えばこの写真は日曜の大洗で買ってきた、森寅ひもの館さんのひものです。これを食ってから、スーパーで売っているものを食うと「スーパーの方が高いのにこれはどういうことですか?」となってしまうようになりました。内陸県民なのに生意気ですね。こういうのを知ると、港町生まれ育ちの子が、大都市圏の海産物にマウンティングしたくなるのが分かる気がします。

人生の幸福というのはしょせん自己満足であります。自己満足を否定的な意味でとらえている限り、それは認知の歪みの監獄の中にあるといえます。

その自己満足ですが、極端な話、毎日3パック39円の納豆を食っていても本人が自己欺瞞なく幸せならそれで良いのです。ですが、本邦で奔放に生きる私たちはヒマにうつつを抜かして、よりよい消費物を追い求めます。

スーパーのどこ産かも知らないひもので満足していればよかったものの、こうやってより安く・よりおいしいひものを知ってしまったがゆえに、もう戻れない。これは果たして本当に幸せなのでしょうか?

舌が肥えるというのは、ひょっとしたら不幸なのかもしれません。

話題を少しずらして読書について。私は読書の神に愛されたのかどうか知りませんが、小学3年生で筒井康隆の著作に触れるという幸運に恵まれました。しかし、だからこそ、割と多くの子供向けの本というものを読まずにこうして大人になってしまいました。はっきりと覚えているのですが、「こどもだまし」としか思えないものが多かったのですね。

子どもというのは、そういう大人が手を抜いていることを敏感に感じ取ります。「このくらいでええやろ」みたいなやつね。

さて、早熟に本物に触れてしまったゆえに、物事を解釈するにあたってのハードルが無意味に上がってしまった不幸は、どうしたら良いのでしょうか?

自己紹介

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sakurabar(さくらば)。1993年生まれ。修士(教育学)→中小企業でパソコンをいじる日々。ねこがすき。 お問い合わせはsakurabar0701あっとまあくgmail.comまで。 Twitter(@sakurabarss)のDMでも同じアドレスに通知が行きます。

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