「食べやす~い!」
食レポに限らず、日常生活で当たり前のように「食べやすい」という言葉が使われています。誉め言葉として使われることが多いようです。
友人知人に冗談として「食レポって大トロでも霜降り肉でもケーキでも「あまぁ~い!口の中に入れたらすぐに溶けてしまいました!口の中でとろけて、とっても食べやすい!」って言えちゃうよね」みたいなことを言った記憶があります。
これはあくまでも冗談ですが、「~しやすい」が誉め言葉として使われる傾向にあるようです。
日本酒を頂くときも、「口当たりがよくてとっても飲みやすい!」が誉め言葉になりうるようです。
コスパ社会を反映している?
翻って考えると、困難はできるだけ排して、楽して快楽を得たい、と言ったところに「~しやすい」が誉め言葉になった背景が考えられました。
「食べやすい」「やわらかい」は誉め言葉として使われるようになりました。
だから、「歯ごたえがある」というのは、誉め言葉としてはあまり使われなくなりましたし、「(他人から強制されない、内発的動機づけによる)やりがいがある」「手ごたえがある」というのも、どちらかというとポジティブな意味からネガティブな意味合いに取られている気がします。
(ちなみに、「やりがいがある」という意味で「やりでがある」というと、一発で上州人カウントされるので県民の方は注意しましょう。ex.「こらぁやりでがあらぁね(=これはやりがいがありますね)」)
「~しやすい」というのが誉め言葉として使われるのは、潜在的に「快楽は苦難を通り越さないと得られない」という前提があるように思えます。
というか、基本的にそれが当たり前であるわけです。苦しい思いをして山を登るから、頂上の眺めは素晴らしいわけですし、筑波山も歩いて登った方がケーブルカーで登るよりはその感動は大きいでしょう。仕事の後のビールの方が、一日を無為に過ごした後のビールよりはおいしいことが多いでしょう(とか書くと「ビールはいつ飲んでもおいしいです」とかクソリプが飛んでくるのがX(旧Twitter))。
ただ、現代社会はかなしいかな、コスパ・タイパが圧倒的善であり、コツコツ地道に努力なんてクソダサい、効率良く目的をノーミスで達成し続けるのがスマート、という価値観がうっすらと地平を覆っています。
それに、消費を促進するには、簡単に快楽が手に入るものの方が提供者側からは都合がいいですから、なおさらです。
ですから、「歯ごたえがある」というのは、特にメディアやSNSなどで褒める時には使われず、「食べやすい」「飲みやすい」といった「~しやすい」というのが誉め言葉となりうる、という寸法です。
お馴染みのコスパ・タイパ批判
老害的意見として、「コスパ・タイパ重視で安易に身につけたものはすぐに役立たなくなる」「真の教養は時間をかけてつけるものだ」「マニア・専門家・オタクになるには、たくさんの失敗を含めたトライアンドエラーが必要なのだから、楽してショートカットするのは意味がない」というありきたりな批判があります。ちなみに現代社会で「オタク」は褒め言葉です。
この記事の結論を、この老害的意見に持って行ってもいいのですが、先日読んだ稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』の論を借りてくると、コスパ・タイパを重視「せざるを得ない」Z世代たちは、実は不幸な存在なのだ、というところに結論を持って行こうと思います。
Z世代の彼らも我々よりアホではありませんから、真の○○を習得するのに時間がかかることは百も承知です。
ですが、私たち30代~の人間と違い、彼らは悲しいかな、思春期にスマホという依存症製造機が登場している存在です。
SNSの拘束力は私たちが思う以上に強力です。村八分にされたら生きていけません(と思い込んでいるだけなのですが)。
そのSNSで「○○見た?」と聞かれて、話を合わせるために早送りして話の概略を知る。そんなことを繰り返すと、難解な話や深い教養が求められる話は避けられます。意味のある余白(沈黙して見つめあうシーンとか)は「なんで何も話さないの?」と思ってしまいますし、AVの序盤のインタビューも当然スキップします。(それは男はみんなそうか)
それに、SNSを見れば自分と同い年、下手したら自分より若くして成功している人がうじゃうじゃ出てきますし、「○○歳までに▲▲したい20のこと」みたいな自己啓発もイヤになるほど出てきます。毎日毎日飽きもせず強迫観念が強化されていくと、必然的に少ない時間で多くの情報を得ようとせざるをえません。
やりたくなくても、村八分になりたくないから、乗り遅れたくないから、コスパ・タイパというトレッドミルの上を延々と走らないといけない哀れな存在、それが正体だったりします。
とはいえ、特にこの話の解決策はありません。そういうものですよ、という問題提起で終わりたいと思います。
私は逆張りクソ野郎なので、こういう世界で「わ・ざ・と、ゆ・っ・く・り・、や・っ・て・み・よ・う」ということにしようと思います。この文章が私がまだ掛け算もできない頃、Win95の時代に出たということがとても尊いです。
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