車について書きましょう。
「免許について」で書いた通り、乗用車の免許を持ってはいますが、ペーパードライバーもいいところ、この3年間で5回も運転していないでしょう。 2020年、2021年は全く運転せず、2022年6月の道北旅行で4年ぶり?だか5年ぶり?だかの運転です。
小中学生の頃は、当たり前のように自分は大人になったら車を持つのだと思っていました。燃費のことや維持費のことも全く頭にない、純真無垢な頃でしたから、スバルのフォレスターとか三菱のランエボとかに乗りたいと思っていました。
ところが大学生になってMTで免許を取り、友人たちと共同でカーシェアをして分かったこととして、「あれ、車って、維持費が結構高くね……?」ということです。
私の家族のように、通勤に車が必須な方々ならさておき、東京23区だと駐車場代に月4万円というのはめずらしくありません。その上車のローン・車検・任意保険・自動車税・ガソリン代・その他備品の類と考えると、月にいくら飛んでいくのでしょうか。
車はもはや趣味の一つに
23区の場合、車が無い家というのは珍しくありません。可処分所得が減る中、家賃が高いのに車を持っててもね、という感じです。もっとも、子育てをする際に車があると超絶便利、というのも分かるんですよね。東京に行くと、悪戦苦闘して京浜東北線にベビーカーを載せようとしているパパママを手伝ったり、あるいは申し訳なさそうにベビーカーを畳むママさんを見たりしていると、「車なしで子育てってどうやるんだ……???」と思ってしまいます。
80年代~90年代のように、私の両親世代が20~30代を過ごした頃は、「デートカー」なるものがあったらしく、良い車でないと女性を誘うこともできなかったのだそうです。隔世の感がありますね。
今と言えば、ほぼ100%の20~30代がスマートフォンを持ち、従って毎月数千円~1万数千円を自動的に携帯キャリアとスマホメーカーに吸われています。スマホは天才で神です。無料でありとあらゆるヒマつぶしができます。YouTubeもTikTokもインスタも見られるし、ブルアカもツムツムも原神もできるし、PornHubもFANZAもいくらでも視聴できます。スマホは新世界の(偽の)神となりました。車の依存症は社会問題になりませんが、スマホ依存症は人生と社会を破壊する重篤な依存症です。
Googlemapのストリートビューを使えば旅行なんて必要ない、というのが茶化しではなく大真面目に語られるようになりました。そのうち、VRゴーグルで旅行気分を味わえば満足という世代が、社会のメインストリームとなるでしょう。
となると、車って「コスパが悪い」んですよね。都市部に住む、電車で通勤する人間からすると、土日しか稼働しない車にどうして毎月何万も払わないといけないの?となるのは当然でしょう。所有欲が薄く、カーシェアやレンタカーでよくね?となります。これは、それだけ都市部に住む若者の比率が高まったということですし、そもそも日本人の10人に3人は1都3県の住人です。
車が若い人に売れないんですから、スキーとかそりゃはやりませんよね。
私も優先順位がそこまで高くないので今のところ車を保有していませんが、新居が地方都市・田園風景で駐車場代が安く済むのであったら、買ってもいいかな、と思っています。なんだかんだいって、公共交通機関がろくにない地方では、あると買い物もレジャーも便利ですからね。
それに、最近とある筋から聞いたのですが、中古の軽自動車を買うよりも、中古であまり人気のないコンパクトカーを買う方が、燃費も大して変わらないし、税金や車検代がかかるものの、そもそもの購入価格が軽よりも安いことが多いので、トータルで見ると得になる、ということです。
タクシーならOK理論は微妙かも
私の立場としては、「買えるなら買いたいけど、家計における支出比率考えるとね」というものです。別に車を憎んでいるわけではありません。
車を持っていない人を揶揄する人もいれば、車を持っている人を憎んでいる人たちもいます。
車不要派の論拠として「タクシーに乗った方が安い」みたいなのがありましたけど、昨今のタクシー運転手問題を考えると、タクシーの方が安全か、というのはクエスチョンマークがつきます。まぁ、ペーパードライバーもいいところの私よりはマシなんでしょうけど。私は80歳のタクシードライバーなら、50歳のカーシェアドライバーを選びますね。加齢でどうしても認知機能や運動能力が落ちるのは、両親の運転する車に最近乗ると、しみじみと思います。
自動運転はよ
自動運転が来るようになれば、不動産の常識が根本から破壊されるので、技術革新を心から望んでいます。自動運転についてはこれだけで記事が1つ書けてしまうので、これはまた稿を改めようと思います。
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