特に資料もなく、印象だけで書いてみようと思います。
2023年も相変わらずいろいろニュースがありましたけど、『News Diet』を読んでからはニュースを積極的に摂取しない身としては、特にねぇ、という感じです。
「被害者の支援活動を行うなど、義憤が建設的な行動につながればいいのですが、SNSで世相を皮肉ったコメントを残す程度では、世の中は1ミリとも変わりませんし、面倒臭い人だと思われるだけです。」 石徹白未亜『節ネット、はじめました』(P106)
ということです。
ですが、その中でも生活にダイレクトに影響が出てきたことについてはちょっと考えました。
掲題の通り「金があってもサービスを受けられない社会」になりつつあるのではないか?ということを今年は思いました。そして、その傾向は残念ながら益々加速していくのでしょう。
路線バスの路線が次々と廃止されています。それも田舎ではなく大阪近郊とか横浜市とか、大都市圏でもです。採算が取れないし、早めに事業を畳んでしまおう、というバス会社もありました。
単純に労働環境が悪く、ドライバーのなり手がいないのに需要はそこそこあるから、というのがあるのでしょう。
タクシードライバーも高齢化が進み、シェアライド反対!なんてのもありますけど、現実的な問題として、地方だとタクシーを呼んでも来ないからシェアライドになっているところもありますね。
長距離トラックドライバーもどんどん減っています。
この長距離ドライバー問題は橋本愛喜 『トラックドライバーにも言わせて』を拝読するまで何も考えず、本書で見方が大きく変わりました。世間知らずなのでよく分からなかったんですけど、車に乗らないからガソリン価格が上がろうが関係ない、ってのは都会の人の意見なんですよね。
「キミが何気なく買ってるスーパーやコンビニやドラッグストアの商品は、産地や工場から誰がどうやって運んでくるの?」ということなんですよね。物流は軽視されがちですが、物流を軽視した軍が滅びるのは必定です。
『人口減少時代の農業と食』で、これに関連してパレット問題というのにも触れられていました。そうか、共通規格じゃないからそれで無駄なスペースができたり非効率化だったりするけど、統一する旗振りする人もいなければお金も何もない、ということなのでしょう。
バス・タクシー・長距離トラックと、問題の一部を見てきましたが、だいたい「肉体的にきつくて、その割には実入りが少ない」仕事のなり手が少ない、ということでしょう。建設とかも慢性的に人手不足ですね。
ITシステム開発でも、10月に書いた「DXで我々は壮大なゴミを作らさせられているのかも」の最後の方でちょろっと触れた通り、需要は増えるけど供給が増えない、むしろ減っていくばかりということで、そもそも仕事を請けてくれるところがいない、という現象が散見されつつあります。
「面倒な客には絶対不可能な高額の見積もりを送り付けて、実質的に辞退する」という話は、実は弊社でもちょくちょくやっています。
※
30年の人生で、物心ついたころからデフレの社会に生きていましたから、値下げが善・安く買えることが善、というコスパ厨な考えでした。
ところが、最近ようやくインフレ傾向になりつつあり、更には今年読んだ岩田規久男元日銀副総裁の回顧録の、「私が注目する点は、顧客は働く側に回れば、供給者でもある、ということである。」(『日銀日記 ─五年間のデフレとの闘い』)という記述にはっとさせられました。
今私たちが低廉な価格で受けられているサービスは、実は「安すぎる」のではないか? ということです。
サービスの受け手としては本邦社会は天国ですが、サービスの提供側からしたら地獄ではないか、だから働き手は提供側として受ける鬱憤を晴らすために、顧客になった時にモンスターカスタマーと化すのではないか、と。
とはいえ、問題は把握していても、それについて決断するのが苦手な私たちの国の社会ですから、本当に立ち行かないところまで行くまで問題は放置されて、その後いよいよまずくなってようやく手を付ける、ということが多くあるのでしょう。
仕事も先を見越して観測気球を打ち上げたり、ジャブを打ったりして手を読むことで、全体的にはコスト(金銭も労働時間もその他精神的なものも含めて)を抑えて目的を達成する人もいれば、特に考えもなく行き当たりばったり、その場しのぎ、右から来たものを左に受け流して、自分の手元からタスクが消えれば万々歳、という人もいますね。これは私怨が含まれていますが。
そのため、これからは今まで当たり前に受けられていたサービスが当たり前に受けられなくなる、ということを踏まえて、そういった「空気」のように当然享受できていたものが、ある日突然消える、ということを前提とした生活スタイルを送っていく、ということになるのでしょう。
いくら金があって、サービスの提供者にゴネてクレームを送り付けたところで、「とは言われましても、そもそも提供できる人がいないんですよ」「でしたら、お客様にはサービスの提供をお断りさせていただきます」というのが、平然と行われる、ということです。
ある日突然水道代が倍近く跳ね上がることになったり、医療費は成人は高齢者だろうが当たり前のように3割負担になったり、郵便や宅配便は1週間に1度だけしか来なくなったり、あるいはタクシーも呼べないバスも廃止だから、高額なライドシェアしか足が無く、かといって乗用車を保有する金銭的余裕はなかったり、ドラッグストアやスーパーの欠品は当たり前だから、相対的に割高なコンビニで買い物することが当たり前になったり、飲食店やホテルでクレームを言ったらモンスターカスタマー扱いされて、当然のように「でしたらもう結構です」とチェーン店ですら入店拒否されるようになったりする、という社会ですかね。
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「安すぎる」で追記。私が新NISAで主力としてる「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」をはじめとする、インデックス投資信託についても、各社のコスト競争が苛烈になっています。で、ある人の意見として、経費率競争の結果、マイナスになることで短期的には受益者は喜ぶものの、やがて信託会社が共倒れになり、1強の会社が総取り、その結果インデックスなのに高経費率になる、みたいな将来像もあるのではないか、というのがありました。ただでさえ現時点で低すぎるのだから、市場における競争はいいんだろうけど、競争が過熱し過ぎて共倒れになったら元も子もないし、困ったものですね。
となると、実績も十分にある本家本元のVTとかVTIとかを買っていった方がいいのかもしれませんね。国内の投資信託を設定している会社のリスクというのをあまり考えていませんでした。
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