地元の晩秋の風物詩、えびす講に行きました。酉の市とは似て非なるもので、由来が違うようです。
兵庫県西宮市の西宮神社が総本社で、関東で唯一直系で分社されたのがここだそうです。
小さい頃は毎年行っていましたが、大学進学と同時に行かなくなりました(当然ですが)。最後に行ったのは2016年、M1の頃だそうです(むしろなんでいたんだろう?)。
昨年は中止で、今年も分散開催とのことですが、本当に久々に、それこそ2年以上ぶりにお祭りに行ったわけですから、何というか感慨深いものがあります。他人でぎっしりの露店と露店の間を歩いてまるで夢のようでした。
今の高2、大2なんて入学してから一度もお祭りすらなかったわけですからね。県内トップクラスの高齢化率(3人に1人は高齢者)を誇るこの市のいったいどこにこんだけ若者がおるんかいなと詠嘆しながら歩いていました。金曜日なので、市内の高校に通っている他自治体の子たちも来たんでしょうかね。あとはおそらく隣県からも来ていることでしょう(これは例年いつものこと)。
学生さんを除くと、何で生計を立ててるんだろう?みたいな、いわゆるマイルドヤンキーの群れみたいなのもいろいろいるわけです。学生の頃は彼らのことを内心見下していましたが、今こうして根無し草(関東圏で高速インターネットがあればどこで仕事しても良い)、漂泊の民として独り日々暮らしていると、絆(きずな、ほだし、家畜をつなぎとめておくもの)というか、ある種の拘束が安心・愛郷心につながっていくのだろうなあ、という感慨があります。私より若い子が子どもを何人も連れているのを見ると本当にそう思います。彼らの方がよっぽど地域社会に貢献しているという感に囚われます。理性は過剰だとしばしば人生の妨げになりえます。
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