好きな大学校歌について話しましょう。
まず、総合力でいうと、立命館大学校歌が一番好きです。
校歌に限らず、曲で優先するのは歌詞よりもメロディです。ですが、立命館校歌はメロディも歌詞も素晴らしい。この演奏の前奏でもう「うおお」となります。歌詞も「あかき血潮胸に満ちて」から始まり、比叡、千古、鴨の流れ、と京都北部の自然を歌い上げ、自校を讃えて終わり、という美しい流れです。
実は禁断の二番というのがあり、ちゃんと立命館公式ページにも載っています。「禁衛」「立命」だなんて、旧時代的だしバリバリ右寄りで、満州で大暴れした例のあの人を迎えていたことともあり、戦後すぐに実質封印されてしまいました。
同様に、同じ近衛秀麿作曲の法政大学校歌も好きです。
GMARCHの中ではぶっちぎりですね。ちょっと冗長なところもありますが、大学生の頃は、これをなぜか弊大学近くのカラオケで熱唱して、先輩同期にドン引きされたという黒歴史を持ちます。
関西学院の「空の翼」も良いですね。
校歌にあるワンパターンではなく、自校名を最後に連呼するのではなく、真ん中に持ってくるのがよく、テンポの良い歌です。
おそらく日本で一番有名な校歌である、早稲田大学校歌は、学生の頃は反抗心から好きではありませんでしたが、いざ学生を終え会社員として働くようになると、3番に入ったところで曲調が変わって、なぜか自然と涙が出てきます。素晴らしい歌詞ですね。「集り散じて 人は変れど仰ぐは同じき 理想の光」のところが特にね。
おまけ
弊大学の校歌は一応「学生歌 常陸野の」というのがあるのですが、ほとんどの学生が入学式・卒業式に聞いて「へぇ~」で終わるレベルです。
「常陸野の 原野を拓き」→マジでなんもねえ原野
「頽廃の 都塵を払い 筑波嶺の 麓に生きむ」→イカれた東京なんて捨てて筑波山の麓で再始動してやんよ
「新しき 日はさし昇り」→前身校は潰されたけど、新しく頑張りま~す
……前身の東京教育大学が国策により廃校になって新しく出来た大学ということもあって、それを強く意識した校歌になっています。教育大OBからしてみたら、現在の一橋・東工大と並ぶレベル(文学部・理学部・教育学部系は、東大の次が教育学部だった。お金のない田舎の秀才が集まっていた)だったので、利根川の向こうの蛮族が住むような茨城県新治郡桜村の雑木林の中の大学なんて、後継とは認められなかったのでしょうね。
一応、東京教育大学校歌も残っていますが、ボーカロイドが歌ったものしかYouTubeにはありませんでした。50年近く前に消えた大学ですからね。
作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰という有名人コンビです。ちなみに、上で挙げている関西学院校歌「空の翼」も同じコンビですね。
大塚というのは、現在の東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅前の、筑波大学大塚キャンパスの辺りを指します。あそこが本部で、文学部・理学部・教育学部がありました。他に駒場キャンパス(農学部)、幡ヶ谷キャンパス(体育学部)がありました。
歌詞をよく見ると、ちょくちょく今の学生歌が影響を受けている箇所があります。「東の精神 西の科學」とか「理想に生きつつ」とかね。まあ、21世紀から見ると「大君の宮居近く」なんてかなりクレーム入りそうですね。「羽ばたく更生 自治よ自由」なんてのは、筑波移転反対闘争の記事を読むと、「・・・・・・」となってしまいますが。ついに校歌の理想は、達成されませんでした。まあ、理想なんていうものは永遠にたどり着くことはなく、常に志向し続けるものらしいです。生きるというのも、「何かに向かって放たれることであり、目標に向かって歩むことである」とか誰かが言ってた気がします。
ちなみに、現在の弊学だと、学生歌よりも宣揚歌「桐の葉」の方がメジャーで、体育会の試合の校歌代わりに歌われます。
歌詞を見ると、「名のみなる廃墟を捨てて」とかあるので、筑波移転後のものなのかな?と思ったのですが、できたのは大正八年(1919年)。パリでイクイクヴェルサイユですね。当時は東京高等師範学校(東京高師)、大学への昇格運動を行っている途中、大学にしてくれないなら廃校も辞さないという、謎プライドでした。まあ、当時は教育に携わる教職が聖職とされていた時代でしたからね。この歌の甲斐あってか、戦後東京文理科大学・東京教育大学となり、そして先述の通り茨城のクソ田舎に飛ばされて現在に至ります。
ちなみに、東京教育大廃校時に最後の学長が3番を、筑波大学開学30周年で私のお師匠様のお師匠様(つまり私は孫弟子か)が4番を作っていますが、体育会のイベントや応援団のイベントでは基本的に2番までで、最後の「よし涸れよ 濁さんよりは」を繰り返すのが定番です。
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