相変わらずTwitterを見る機会は2021年6月から減って、最近は朝の散歩の時に写真を載せて、寝る前にちょろっとタイムラインを見てリプライ返しをするくらいです。
SNSのヤバさというのが日に日に明るみに出ています。最近読んだ『“正しい”を疑え!』という新書にも、正義中毒や正しさ依存の原因はSNSにある、という記述があり、2020年、2021年の私を見るようで気持ちが重くなりました。
さて、Twitterはといえばマスクくんに買われたり、その過程で内部の腐敗っぷりが明るみに出たり、日本支社の運営がひどいとか、色々ありますけど、明らかに2017~18年あたりからおかしくなってきた、という印象です。具体的には、Twitterを壊したのは「公式RT」ではないか、と思っています。今日、そんなことを書いた記事を読んで、確かにそうかも、と思い出しました。
思えばわたしがTwitterを始めた2009年~2010年ごろは、RTと言えば非公式RTでした。もうこの言葉も死語なんでしょうね。QTなんて言葉もありました。今となっては、QTというとQT延長の方を想起してしまいます。どうでもいいですね。話が逸れました。
ところが公式RTが登場したあたりで、炎上商法も同時に登場しました。東日本大震災におけるデマの拡散にも一役買ってしまいましたし、昨今の炎上と憎悪と怨嗟の無限連鎖を生み出しているのは公式RTでしょう。
公式RTのヤバい点は、衝動性と拡散力の強さです。
ボタン一ポチで、他者の意見をそのままフォロワーのTLに強制的に流すことができます。これが強力すぎます。
例えば「ウチの犬を見て見て!」くらいならほほえましいですが、これが終わることのない議論の火種とか、あるいはわたしが唾棄する「本当の真実」を語る冷笑系インフルエンサーの意見だったりすると、1月の渡良瀬遊水地みたいにあっという間に燃え広がります。
Twitterの公式RT開発者も、「4歳児に銃を与えるようなものだった」と後悔されているようです。でも、公式RTでこうやってview数とかインプレッション数を稼げるのですから、この機能をTwitterが廃止することは絶対にありえません。
ですから、Twitterの無限回し車という構造、Twitterの本当の客はスポンサーで、ユーザーはその商品である、ということを意識して、距離を置く、離れる、やめてしまうのが一番です。
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