中学生の通学風景
飽きもせず毎日毎日朝の散歩をしています。雨の日でも暴風雨でもなければ傘を差して行きます。時間帯によって道を歩く人たちというのは違っていて、6時前だと老人が多く、7時台だと学生がメインで老人はピタッといなくなります。で、本記事のメインテーマは、今朝散歩中に見た、通学中の女子中学生が、上は長袖のジャージ、下は短パンのジャージで自転車に乗っていた姿です。そこで思わず習俗と、最近読んだ本が頭に浮かびました。
中学生は毎日ジャージでしょ?
まず習俗というのは、辞書的には「世の中の習慣や風俗。風習。ならわし。」(日国)という意味です。
上京した時、東京は中学生が通学するのに、本当にテレビや映画の通り制服で登校するのだなと驚いたのですが、北関東のような田舎では、当たり前のように通学はジャージです。
中学入学時にジャージは3着は買って、人によっては寝間着も学校ジャージなので、朝起きて着替えずにそのまま登校できる、放課後の学習塾は当然学校ジャージ、買い物も学校ジャージという感じで、男女関係なく365日学校ジャージという子も珍しくありませんでした。
制服はいつ着るの?というのは、それは定期テストと入学式卒業式始業式終業式そのほか公的イベントの時くらいで、年に十数日程度です。ということを大学に入ったときに江東区出身の子や神戸出身の子に話したら「は???野蛮では???」と言われました。
で、当時の学内の雰囲気としては、女子の中でも一軍(ソフトボール部とかバスケ部とかイケてる子たち)や二軍(そこそこの運動部や吹奏楽部など中流階層)は、秋でも冬でも下は短パンがデフォルトでした。三軍は長ズボンはいてましたけど。で、長ズボンはいわゆる腰パンがあまりにも当たり前でした。
ところが、男子は当たり前ですが、短パンはまずめったに履かない(それこそ体育の時くらい。ダサかったので夏でも部活の時は部活用のユニフォームやら練習着にわざわざはき替えていた)、という感じでした。
第二次性徴とかそのほかいろいろを考えると、むしろ男子の方が短パンで女子の方は体を冷やさない方が良いのでは?という考えが今思うとあります。
そんな当時の雰囲気が、10年以上経っても変わっていないのだな、というのでなんだか習俗を感じてしまいました。
モナドの領域
そこで思い出したのが、最近読んだ筒井康隆『モナドの領域』です。御大が最後の長篇とおっしゃっていただけあって、超面白かったんですが、そこの一節がなぜかふっと頭に浮かびました。
「(前略)つまり女の心理を代行して述べるとだね、女は男の気を引くためにスカートを穿いておるのだが、盗撮に女が怒るのはそうした自分たちの本音が男にわかってしまうからだよ。まあそう言うと身も蓋もないのだが、身も蓋もないことは他にもいっぱいある。殊更に言わないがね」(P65)
というような一節を考えると、女子高生が冬のクソアホ寒い中でもスカートにハイソックスで生足を寒風に曝す理由や、あるいは肩で風を切って街を闊歩する若い女性たちがヒラヒラな服をまとっている理由の一つがわかるような気がします。ということを書くと「女性蔑視だ」的な意見がガンガン飛んでくるのが今のサツバツインタネットですけど、そもそも男女は別の生き物で機能が違うからそういう批判は誤謬、という前提を知ったのはつい去年の話でした。
もちろん、小説内でもちゃんと弁解しています。
「今のご意見には、異論があります」
「そうだろうね。今のはあの男を喜ばせるための言葉だが、まあ大きく間違ってはおらんのだからいいだろう」(P65, 66)
それ知っても仕方なくない?
この記事を書いている途中で近所のスーパーに行ったら、サッカー台(レジ後に袋詰めする台)に「フクレックス(ロールのポリ袋)は必要な分だけご使用ください」と書いてあって、今調べたらフクレックスってのは特定の企業の商品名なんですね。フクレックスという語に実社会で触れたのはここだけだと思いますし、その特定の商品名を客が知る必要ある?という気持ちになりました。知識偏重でしたが、最近は「それ知っても仕方なくない?」みたいな気持ちが醸成されつつあります。
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