「このままじゃマジで自分終わる」とスマホ、タブレットからTwitterのアプリを消して投稿しかできないようにして、見るにしてもPCで19~22時の決められた時間に数分見る程度(リプ返しと、馴染みの人を入れているリストをちょっとスクロールしてリプを飛ばす程度)にしてから、はや半年近くが経ちました。
今ではスマホでTwitterを見ようとは全く思いません。最初は毎日19時が来るのが待ち遠しい、という感じでしたが、最近では別の趣味に入れ込んでいたりロードバイクを買ったりということもあってか、TwitterのTLを見ずに終わる日というのが珍しくなくなってきました。どこからどう見ても立派な(立派か?)ツイ廃、依存症患者だった人間が半年でここまで変わるのだなあと思うと、感慨深いです。
今のスマホとタブレットのスクリーンタイムは80%以上がSkyLeapというグラブル専用Webブラウザです。それだってすべての時間画面を見ているわけではありません。
ゲーム機としての機能を除いたら、スマホやタブレットを覗いている時間は1日1時間にも満たないのでは?と思います。その分、このブログ記事を書いているX1 Carbonでインターネットをしたり小説を書いたりしているわけなんですけど。
さて、前回のやめた人紹介記事の第二弾をやっていきます。
再掲になりますが、私のTwitter遍歴。
- 高校1年(2009年)から12年近く、ほぼ毎日使用
- 総利用時間10000時間以上(1日10時間以上はザラ)
- 最大5アカウント運用
- 合計ツイート数20万以上、一日100ツイートはザラ
今回はこちら。
バックグラウンドとしては、10年近くやっていたということもあって、私と同じような感じかと思います。
時間がたくさんできる
Twitterの奴隷をやめられたことが良かった
人によっては10時間以上を費やしている人もいます
まさしく注意経済(Attention Economy)について書かれています。注意経済の本質は、いかにして人々の注意や時間を奪い、金に換えていくか?というところにあります。そのために、後述するドーパミンのような神経伝達物質のハックが容易に行われるわけです。
この方が書かれているように、Twitterの特に公式アプリ・公式サイトって、私が始めた2009年には「○○さんがいいねしました」とか、頼んでもいないのにTLに企業の広告が無限に流れたりとかってなかったんですよね。ユーザーがどんどん増え、企業もどんどん参入していくことによって、そこはゴミ箱になっていきます。当初は山奥のニッチな楽しい村みたいな感じだったのが、いつしか情報発信のメインストリームになり、テレビでも「Twitterでバズった投稿」を嬉々として報道する始末(まあ、あれは番組も広告だからね)。オタクが集まる楽しい村は、いつしかゴミ溜め・掃きだめ・罵倒と嫉妬と怨嗟の声に満ちた空間になってしまいました。
いいね中毒が治る
SNSでいいねをもらうとドーパミンが出ます
ギャンブル依存症に近い状態になります
いいねをモチベーションにして作品を作るのは良くないです。自分でコントロールできないものをモチベーションにしないほうが良いです
これがドーパミンハックの問題(報酬系をいじいじする)と、このブログ記事でも紹介されている「Web拍手の罠」に述べられている外発的動機付けの話です。内発的/外発的動機付けについては、心理学科でなくても教職課程の教育心理学では必ず出てくる話なので、知っている人も結構いるかもしれません。っていうか、教育心理学、もしかしたら教職課程の教職科目で一番役に立っている科目かもしれません。閑話休題。
Web拍手の罠では、この問題をTwitter以前(というか、SNS以前)から指摘していたことに価値があります。
Twitterのドーパミンハックは、私たちが思っている以上に多額のコスト(金も専門家も)を費やしています。例えば、「いいね!」は実はリアルタイムでは反映されません。私たちが1秒でも長くTwitterの広告を見るために、わざとタイミングをずらしてあります。
そして、見たくもない余計なものを見せてくる割に、公式アプリや公式Webではその機能を削除することはできません。例えば、「○○さんがいいねしました」だけでなく、「○○さんがこのツイートをいいねしました」とか、RTをオフにする機能とかね。これって、何かに似ていませんか?そうです。テレビや新聞の広告と同じです。ですから、テレビは録画してCMをスキップすれば余計なものを見なくてよいように、Twitterをもしやるのなら、たとえ数百円・数千円払ってでもいいね!やRTやそのほか企業広告をカットするようなクライアントを入れるのが良いかと思います。
いいね中毒の話は別の記事で書きましたから置いておきます。
やめてから見たくもないニュースや人の言動を見て心をすり減らすことがなくなりました。
Twitterを開かなければ傷つかなかったかもしれない。傷つく必要のないことで傷ついていたかもしれません。
実際のところ優しい人や思慮深い人ばかりがTwitterで傷ついているように見えます。
そうやって思慮深い人が去っていくと攻撃的な人ばかりが残ります。
また、周りが攻撃的だと攻撃的でなかった人も攻撃的になる可能性があります。
最近攻撃的な人が目立つ理由のひとつはこれだと思います。Twitterは今そういう悪循環が起こっているように感じます。
私もこの感覚は持っていて、分水嶺は2017~18年あたりだったのではないかと思います。2022年になって、これまで以上に「SNSって思った以上にやべーんじゃねーの?」という疑念が、私のような市井の人間のみならず、世界各国の有識者から提示されているように思えます。
豆腐メンタルの人、あるいは自壊型の人は、SNSはできるだけやらない方が良いと思います。気持ちをかき乱されます。
先述の通り、注意経済にとっては1秒でも多くサービスに目を向けてもらうことが金になります。そして、私たちの脳は何万年もの間、幸福感や充足感より、不安や恐怖や焦燥感の方がずっとずっと注意を向けやすくなるようにできてきました。注意経済企業はこうした脳の仕組みも、専門家を使ってちゃんとハックしています。SNSからどうしても離れがたいのはあなたが弱いからではなく、「そもそも、そういうふうにできているから」なのです。
Twitterに限らず、今はあまりにも情報が多すぎる時代です。旧来メディアであるところの新聞・テレビに限らず、ネットニュースというものもあります。
ネットは無料でしかも幅広い情報が得られるというメリットがある一方、強烈なデメリットがあります。
新聞は1日当たりの紙面に限界があり、テレビも放送時間には限りがあります(ずっとワイドショーやニュースをやっているわけではないから)。
しかし、ネットニュースには本当の意味で終わりがありません。やる気になったら今後一生ネットニュース漬けということだって可能です。
となると、極端な話、どれも見なくてもよい、ということにすらなります。だって必要/不要の境目など、誰にもつけられないからです。
思えばインターネットはおろか、テレビも新聞もなかった時代の農村の人々は、井の中の蛙という点では不幸だったかもしれませんが、知らなくても良い情報(例えば、地球の裏側で起きている悲惨な出来事とかね)を知らなくても良い、という点では幸福だったかもしれません。ぐろーばりぜいしょん、とかいうやつになってしまったから、そういった言い訳はもう効かないんだ!と言われてしまったらそれまでですが、知った話ではありません。
この記事では解決策としては「自己肯定感を高める」と称して、ホメ日記やら瞑想やら他のことを始めてみるとあります。
10年やった私は完全に抜け切るまで3年強かかる
という言葉があり、この方の言葉を信じるなら私もまだ途上ということになります。
一言で書くと、Twitterに限らずSNSをやるというのは、ヒマだからなんですよね。本当に人生が満ち溢れていたら、SNSをやっている暇なんて微塵もありません。
とある作家のエッセイを先日読んだところ、下記のような一節がありました。
べつに、ネットがなくても生活はできます。SNSなんかに時間を取られることは、不毛と感じます。自分の時間を自分の好きなことに使い、自分の判断で自分の行動を評価する。これで、自分の人生はわりと簡単にハッピィになります。現に、僕の周囲の一流の人たち、尊敬すべき人たちは皆さん、(営業目的以外では)ネットに出てきません。つまりそこは、そういう素晴らしい人たちがいない世界だということなのです。その点に早く気づかれた方が賢明かと。
私が産まれる前からインターネットに触れてきた開明的な方が、こういったエッセイを2019年の時点で書かれていることに「やっぱりな」という気持ちになりましたし、いよいよSNSアプリをスマホに入れる気が無くなってきました。やはり、するにしても一方向の投稿くらいかと思います。Ingressのミッションをやりながら一方向でTweetだけするというのは、まあOKかな、と思います。実際、Ingressのミッション情報で一番役に立つのはTwitterですし、情報を還元することで今までIngress界隈に大変お世話になった恩を返すというのもあります(そんなにやってないけどね)。
これだけインターネットやSNSが人口に膾炙する世の中になると、そこで金もうけをしようとする輩が流れてきて、必然的につまらない空間になっていく、ということでしょう。
それよりも、やはり精神の平穏、アタラクシアのためにはSNSを遠ざけるのが早い!ということになりそうです。
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