SDGsへの違和感

2023-01-04

論説

SDGsについては既に様々な論説が世に出回っていますが、あえて特に何の資料も持ち出さずに印象論と先入観だけで意見を書きましょう。

普段友人知人、あるいは家族と会話する時もSDGsを揶揄するようなことをよく口にしてしまいます。例えば、「お、SDGsか?w」とか、クリスマス・イルミネーションを見に行って「これはnot SDGsなんじゃないですか?w」と揶揄してみたり、あるいは二酸化炭素の排出が大いに為されているようなテレビ番組の企画(例えば明らかに暖房をガンガン炊いていたりとかね)をやっていると「これはSDGsではないのでは?w」とか難癖をつけたりします。

もちろんこれは半分冗談でそういう芸風なのですが、もう半分は本気の側面もあります。

はっきり言ってSDGsは「河豚は食いたし命は惜しし」というか、「地球にやさしく持続可能な成長はしたいけど、さりとて現在の便利な暮らしは絶対に手放したくない」といったスケベ心が見えて取れます。また、グリーンウォッシングによく似た香りを感じます。

それに、SDGsは声高に言われ始めてから、それを嬉々として語る論客やらメディア人やら(仕事だから仕方ないんでしょうけど)には、「今更なにいってやがる」という気持ちでむかついていました。今日、ようやくなんでむかつくのかが分かりました。

自分が既に社会の平均値・中央値を超えてエコな暮らし(SDGsとは言わない)をしているから、なんですね。

例えばグンマーの当地では成人の99%は自家用車で移動し、電車やバス、タクシーといった公共交通機関はほとんど死滅しています。ところが私はその残りの1%。車を所持していないというのもありますが、移動はロードバイクか電動自転車か徒歩です。電動自転車も電気を使っているという点では完全にエコではありませんが、それでも1時間乗って10円もかかりませんから電気自動車に比べたらよっぽどエコです。

牛乳パックを洗って乾かしてスーパーのリサイクルに出すなんてのは当たり前田のクラッカーですが、世の人々は思った以上にこれすらやっていないみたいです。

服も年に何度かしか買わず、最近は古着への抵抗感もやや薄れてきました。愛用している薄手のジャンパーは1000円でどこかの古着屋で拾ってきたものです。

その他にもいろいろありますが、既にやっている人が我が物顔で他の人に言われるとイラっとくる、という話ですね。別にSDGsに限らず、あらゆることに言えそうです。

まあ、SDGsもDXとかその辺の「手を変え品を変え情弱をカモにするビジネスチャンス」なのでしょう。確かに地球温暖化で海面上昇とか食料危機とかあるんでしょうけど、それにしても何だか釈然としないものを感じます。

自己紹介

Japan
sakurabar(さくらば)。1993年生まれ。修士(教育学)→中小企業でパソコンをいじる日々。ねこがすき。 お問い合わせはsakurabar0701あっとまあくgmail.comまで。 Twitter(@sakurabarss)のDMでも同じアドレスに通知が行きます。

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