2023年6月に長崎市・上五島・佐世保市(と博多)を訪れた長崎旅行の所感を書こうと思います。
閉鎖環境には住めんな
まず、長崎市も五島列島も旅行で訪れる分には大変結構だな、と思いました。一方、もしも居住するとなると、かなりしんどい土地だな、という印象を受けました。
私が北関東ロードサイドで生まれ育ち、現在も変わり映えもない北関東ロードサイドで暮らして群馬県・茨城県・東京都でしか生活したことのない身としては、関東平野が当たり前すぎて、長崎市のような山がちの土地、あるいは離島のようにより物理的な閉鎖性を感じるところは厳しいな、と感じました。
ただでさえ、中学・高校時代は関東平野の果てにある地元に閉塞感を感じていたのに、離島とかだともっと息苦しそうです。
黄金の中庸
確かに東京の高層マンションしかないところで、資本主義と狭い空と満員電車とお受験戦争と様々なマウンティングに疲弊するよりは、という気持ちはあります。
一方で北関東ロードサイドの生活に慣れ親しんだ身としては、自分が行きたい時に島から出られない、というのはかなりしんどそうです。長崎市は単純に日々、坂に悪罵をわめき散らしそうです。
ということで、居住地選定という点では、相変わらずトカイナカ志向、もっと言えば国道16号線周辺に住みたいな、と思っています。
食い物は割と良かった
- トルコライス→そもそも洋食がそんなに好きじゃない説
- ミルクセーキ→うまかった
- 五島うどん→うまかった
- 長崎ちゃんぽん→リンガーハットよりうまかった
信仰とは?
これまで公開した旅行記でも触れている通り、今回の旅行の目的は野崎島の旧野首教会を訪れることでした。
そこに至るまで、長崎市の大浦天主堂・中通島の頭ケ島天主堂・カトリック桐教会を巡りました。
特に大浦天主堂の資料コーナーでは、江戸時代のキリシタン迫害・殉教の歴史が細かに述べられていました。
二十六聖人殉教のコーナーでは、死ぬ必要がなかったのに自分から進んで磔刑に処せられようとしたり、最年少12歳の少年が「つかの間の命と永遠の命とを換えることはできません」と、役人による棄教の命令をはねつけたりした様が記されていました。
私は日本人によくありがちな初詣・模擬的なエセ教会(ウエディング業界の人ごめんね)で結婚式・クリスマス・そして天台宗(※)のお葬式という無宗教者ですから、命を捨ててまで信仰を守り通す、というのが頭の中では分かるのですが、実感として「そこまで価値のあるものなのだろうか?」ということを思ってしまいました。
(※):父の実家の集落に共同墓地があるのだが寺は無く、集落から一番近い村の中心部にあるお寺が天台宗だから、というだけの話
とはいえ、当時の価値観を物質的に恵まれた現代社会の人間が論評するのも、妥当とはいえなさそうです。過酷な生活環境の中で、信仰のみが生きるよすがだったのかもしれませんから。
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