中高大社会人とキモオタだった人間が、オタクですらなくなったその後の話を書きます。
要約
- ハルヒにはじまりTwitterを辞めてオタクも辞める
- 人生はドーパミン配分ゲーム
- DLsiteとFANZAの見すぎでドーパミン受容体がぶっ壊れた
中学校
それまで順風満帆の人生で最初にコケたのは中2で、学校で角川文庫の本を申し込んで、封筒にお金を入れてまとめて買う、というのがありました。無難に森絵都あたりを買っておけばよかったのに、何を思ったかアニメ絵の表紙に心を惹かれ、『涼宮ハルヒの憂鬱』を買ってしまいました。
本が届いたその日からクラスでの立ち位置は、『ガリ勉』から『アニメ挿絵の本を隠れてコソコソ読むキモいガリ勉』に成り下がり、その立ち位置はついに中学卒業まで変わりませんでした。ニコニコ動画全盛期もこの頃か。大学までニコ動ユーザーでした。ついでに2chを覚えたのもこの辺りで、専ブラのJane Styleを入れてvipに入り浸って画像スレタブを複数開いて貼りついていました。ついに5ch対応ですらなくなったので隔世の感があります。
中3の冬休み、受験直前にアニメの『AIR』の6話を見て死ぬほど泣いて12話で吐くほど泣いて、その後『Kanon』を見て救われて、よく高校受験で第一志望に受かりましたね私。どちらも今はないファミリーブック(群馬県民と埼玉県民しかわからんぞ)の旧作アニメコーナーにドキドキしながら借りに行って、自室で雪の降る中コソコソDVDプレイヤーで見たんだ。あの頃のドキドキワクワク感・あるいは聖なる気持ちはもう味わえないと思うと、涙が出てきます。
高校
高校に入ってそれまで地元のお山の大将だったのが、入学後の最初のテストで一学年320人中200番台前半という絶望的な順位でショックを受け、片道1時間近い通学やら何やらで学校に行くのがやっとでした。
部活にもろくに入らず(正確には入っていたのだがその部活はお取り潰しに遭った)、そんな中できた友だちはオタクばかりで、友人のKくんやIくんと『D.C. 〜ダ・カーポ〜』シリーズやKey作品を貸し借りしたり、前の席のKくんや今でも連絡を取り合うFくんらとライトノベルの貸し借りをしたり、そう2009年は『けいおん!』『生徒会の一存』『とある科学の超電磁砲』『そらのおとしもの』あたりで、特にそらおとはすべて録画してよなよな見ていました。Twitterを始めたのもこの2009年。
その他仲のいい友達でクラスの40人中10人以上がキモ・オタクでしたがまぁまぁ楽しい日々で、研修旅行という名の修学旅行の代替旅行でも夜な夜なオタク・トークに勤しみ、京都にまで行ってアニメイト・メロブに行くというありさま。
しかし2年に上がり文理選択で、「数学ができないわけではないが数学の教師が死ぬほど嫌いで、平日5日間に65分6コマ数学とか殺されてしまう」「そしてそれ以上に理科がまったくできず、日本史・世界史全振り脳」だったので文系を選んだ私と違い、キモ・オタク仲間たちはみな理系に進んだのでバラバラに。
高2は本当に受難で最初の2ヶ月リアルに誰とも話さなかった記憶があり、ちょくちょく記憶が無いことから「人間あまりにつらいことは記憶が飛ぶのだ」というのがありますね。もっとも、今も家族と親しい人と会社の人間以外とはろくに話していませんけど。
2010年アニメは『Angel Beats!』やら『俺妹』やら『バカテス』やらで、この2009年~2010年がもっともアニメを見ていた時期と思われます。『Angel Beats!』なんてリアルタイム視聴してましたから。リアルの高校生活が無理過ぎて、インターネット、もといTwitterと2ch、そして読書に逃避するのがこのころ。
漫画も『らきすた』『ローゼンメイデン』『テガミバチ(これは弟くんが買ってきたのだったな)』『封神演義』『ToLOVEる』あたりに親しんでいました。
高3になるとクラス替えでそこそこキモ・オタクも文系にいるのだと分かり、自分が所属する以外の部室に入り浸り、麻雀をやったりゲームをしたりとやりたい放題。よく現役で大学受かりましたね。後期入試で何とか滑りどまっただけなんですけど。そりゃ大事な大事な高3センター後に2chに入り浸ってやる夫SSとハルヒSSばっかり読んでたら落ちますって。
大学生
運良く?大学に受かり、後期試験が終わるや否や、地元を離れる感傷に浸る暇もなく、大学の学生宿舎(寮の下位互換)に引っ越します。
念願の一人暮らしが始まるだけではなく、スマートフォンとノートPCなんて代物が手元にあるわけですから、Twitter中毒が加速します。このころからいよいよTwitter専ブラを愛用し、Pixivを見て一日が始まります。授業中にスマホをいじり、Twitterのアカウント名が呼び名・ニックネームとなる生活の幕開けです。田舎でやることが無いのに学生数は多く、みなそこそこ書き言葉「は」得意なことがあってか、独自のTwitter文化が花開いた学校でした。
また、18歳を超えたので堂々とゲームを買うようになり、バイト代を多くつぎ込みます。大学時代の思い出深い作品といえば何と言っても『ラブライブ!』です。シャンシャンしまくってましたがある日突然「こんな作業をするためにオレは大学に来たんじゃねえ」と当時の彼女の目の前で突然切れ散らかして、衝動的にアプリを消去した記憶があります。気分の波が激しいですね。今検索したら2023/3/31でサ終してて次のサービスに移行したみたいです。
その作品は見ていなくても、TwitterでRTで流れてくるとか、あるいはPixivでキャラクターだけは知っているとか、2chで話だけは知っているとか、そんなのが多かったですね。
『ガルパン』の影響で大洗に毎年のように行くのもこの辺りです。もっとも、これは社会人になった今も続いています。さすがに、最近は普通に観光になりつつありますけど。劇場版を最後まで見届けるつもりです。
大学院
この辺りからアニメ離れが進んできます。今振り返っても、当時やっていたアニメで見覚えがあるタイトルがほとんどありません。しかし毎日のPixivとDLsite(とFANZA)巡りは日課であり、相変わらず毎月のように課金を繰り返していました。
社会人、そしてTwitterから離れて
社会人になってからも、二次元趣味から離れずにいましたが、日々の仕事に追われるうちに、アニメを見ることはほぼなくなりました。こうして振り返ってみると、深夜アニメを熱心に見ていたのはせいぜいが高校生の1、2年だけだったんですね。
金に余裕ができてAmazon Primeを契約したところで、アニメを見る気力がなくなります。これはこれまでの記事でも触れているように、動画を見る気力がない、真面目過ぎる、というところでしょうか。
しかし、あれよあれよとステイホーム時代、そしていつまで続くか分からない、誰とも会わずに都内の6畳ワンルームに籠って仕事だけの毎日に、「これはおかしくなってしまう」と田舎に逃げ帰ったのが2021年5月。
翌月、怨嗟と猜疑に満ちてすっかり不快な環境になってしまったTwitterを見て消耗する自分に、「やはりこれはTwitter依存症では?」ということで、衝動的にTwitterアプリをiPhoneから消してはや2年。Twitterはブラウザからのみするようになりました。
当時、Twitterのアカウントは3つ持っており、メインアカウント・大学用アカウント・そしてこのブログと紐づいているIngress用アカウントの3つでした。
そのうち2022年9月に大学用アカウントを消して、メインアカウントと呼んでいる、高校1年の2009年から使っていたアカウントも鍵をかけて休眠状態。今では高校・大学時代の友人知人と連絡を取るために使うくらいです。
Ingress用のアカウントはさておき、メインアカウント・大学用アカウントはフォローしている人間にキモオタがそれなりにいたので、自然と今季のアニメ情報とか、ゲーム情報とか、あるいは公式や二次創作のイラストとか動画とかが色々流れてくるわけです。
Twitterから離れたことで、そういった情報が全くと言っていいほど入ってこなくなったので、自然とオタク趣味からも離れていった、という形になります。
2022年12月には、「やはりこれは成人向け同人依存症なのでは?」と思い、DLsiteもFANZAもブロックサイトに入れ、今まで10年近く十数万、いや数十万つぎ込んできたのに、あっさりやめてしまいます。「やはりこれは依存症なのでは?」という気持ちが拭えなかったからです。
ということで、いわゆるR18方面のインプットも無くなったので、いよいよ今の流行りも何もわからんし、興味も薄れてきた、という形になっています。
2023年シーズンの新アニメとか見ても、全然見たことのないタイトルばかり並んでいて、それこそ「異世界転生」した気分です。
オタクを辞められるか心配だったが杞憂だった
高校生・大学前半の頃はオタク趣味にまい進しながらも、「30とか40とかになって今と変わらずキモオタだったらどうしよう」と心のどこかで不安に思っていました。
ですが、実際に30歳になってみると、当時の心配はどこへやら、杞憂だった、ということになります。
単純に、興味が無くなるんですね。
大学時代、自転車部のOB会で、OBの方々が「今のうちに色々ツーリング行けよ」としきりに言っていたのは、休みが取れない、という意味だと思っていたのですが、そうではありませんでした。「関心や意欲が無くなる」からだったのです。
オタク趣味にも同じことが言えて、秋葉原まで数駅のところに住んでいても別にオタク趣味のために行くことはついにありませんでしたし、熱病のように熱中していたことがすっかり抜け落ちて、掲題の通り「オタク」から「オタクを辞めた虚無」になってしまいました。
グッズに関心が無かった
オタクからオタクを辞めた虚無になりやすかった要因もあります。物理的なグッズをほとんど所持していなかったことです。
オタクの象徴ともいえるフィギュア・抱き枕・タペストリー・キーホルダーなどの各種グッズ。秋葉原あるいは池袋東口に行けば飽きるほど見ることができますが、これは不思議なことに高校時代から全く興味が無かったんですよね。
フィギュアは買いたいと思ったことがないし、抱き枕はなおさら。
タペストリーも置き場どうすんねんという話でしたし、キーホルダーすらありません。
集めてきた思い出の品を処分する、というのは勇気が要るものです。ですが、そもそもがデジタルデータばかり、あるいはせいぜいが紙の漫画。同人誌もデータばかり買っていて、物理的なものは1冊か2冊買った程度です。
もしかしたら、高校大学当時から、うすうす出口戦略を考えていたのかもしれません。まぁ、それよりも、「見つかったら困る!」というのがあったのだと思いますけど。
オタクを辞めた虚無の生活
一方で、熱狂に駆られていた二次元オタク生活が落ち着くと、今もそうなのですが迷子になっています。打ち込めるものがない、といったところです。
アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』や類書を読んで確信しましたが、人生はドーパミンという限られた資源をいかに増やし、配分していくかというゲームです。
ドーパミンが枯渇
ところが、オタク趣味、特にDLsiteとかFANZAとかって、人間の根源的な欲求と結びついているから、ドーパミンがドバドバ出るんですよね。
いまだに坂道グループとか、人気の20代30代女優さんを見てもまったくかわいいと思わないのは、二次元のキャラクターたちが(男性も女性も)魅力的すぎる、というか現実世界では絶対にできないくらい個人の嗜好にぴったりとハマってしまっているから、なんですね。
かれこれ12年以上、ドーパミンを毎日のようにドバドバ産出して浪費する人生を送ってきたので、それらから離れるのは容易なことではありません。
「うさぎかわいい!」とか「テレビの○○ちゃんかわいい!」がドーパミン量10だとすると、市販されている漫画やアニメキャラはドーパミン量30、そしてDLsiteやFANZAやPixivやTwitterで流れてくるR18キャラはドーパミン量100~です。そもそも、桁が違うのです。
そして、慢性的にドーパミンが出まくっている、普通の生活では味わえないようなドーパミンを浴びまくっているわけですから、「テレビの○○ちゃんかわいい!」くらいでは、全然良いと思えなくなっちゃってるんですね。グラビアアイドルとか見ても「ふ~ん」程度にしか思えないのは、普段からもっと過激なものに慣れ過ぎてしまっているからで。
ということで、「オタクを辞めた虚無」は、過剰なドーパミン分泌と消費で思春期を過ごしてしまったがゆえに、世の割と多くのモノが退屈に思えている、という話です。と書いてきて思うのが、「これ薬物中毒者と同じじゃん」ということです。
クスリで得られる快楽は人智を越えていますから、やめた後の世界は退屈で仕方がありません。それと同様、オタク趣味を辞めた後の世界というのは、ドーパミン量がせいぜい10から30程度ですので、100以上の刺激に慣れ親しんだ身としては退屈です。
ドーパミン受容体が正常になるのをただ待ち、「テレビの○○ちゃんかわいい!」となる日は来るのでしょうか。
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