会社の懇親会でフレンチに行ける予定だったのですが、諸事情で行けなくなってしまったので憂さ晴らしにグルメについて書こうと思います。
好き嫌いが増えた
子どもの頃はほとんど好き嫌いが無かったのですが、20代後半(というか、働き始めて)から、嫌いなものが増えてきてしまった気がします。
例えば、苦手になってしまった食べ物にパエリアがあります。
パエリア嫌いの人間というのをあまり聞きませんし、「本当においしいものを食べたことが無いからだよ」と言われていましたが、大宮でそこそこ知られたスペイン料理屋さんでパエリアを食べた時に、同伴者がとてもうまいうまいと言っていたので、「そうか、ならおれはパエリアがダメなのだな」というのがあります。
また、ここ2~3年でコース料理がめっきり苦手、というかむしろ恐怖を感じるようになってしまいました。と書くと笑われてしまいますが、コース料理の店限定で会食恐怖症気味になってしまい、一時期は本気でめちゃくちゃ悩んでいました。
「残してはいけない」という呪縛
自己分析して考えたんですが、例えば松屋とかマクドナルドとかサイゼリヤとかだと、そういった不安は全く感じないんですね。
なんでコース料理の店が苦手なのかというと、ひとつは「残してはいけない」という呪縛にガチガチに縛られているからです。
幼少期のしつけや給食指導で、「食事を残すことは悪」「完食することが善」というのが意識に協力に刷り込まれてしまっているから、なんだと思います。
ですが、その割には旅館の量が多すぎる料理とかは平気なんですよね。どうしてでしょう。
ということでふたつめに、「コース料理の給仕がプレッシャー、そもそも洋食がそんなに好きじゃない」ということが挙げられると思います。
2019年にとあるイタリア料理店に行って、緊張と体調不良で後半の料理が全く喉を通らず、メインも全くと言っていいほど手を付けずに下げてもらったら給仕とシェフが飛んできて「なにかございましたか!?大変申し訳ございません!!」と謝られて、「いや、こちらがすべて悪うございます、申し訳ないです」とこちらが平謝りしたのがトラウマになっている節があります。そして、このトラウマはいまだに消えていません。
また、2021年に地元のフレンチに行ったのですが、こちらも終始気が張ってしまい、ろくに食事が喉を通らず、帰宅してから自己嫌悪で落ち込んでいました。2022年に別のフレンチに行ったときは、幾分改善していました。精神状態の問題も大きいと思います。
旅館の料理はOKで、コース料理がNGなのは、きっと給仕に気を使いすぎてしまう、のが主因でしょう。常に食事を監視されている、というのに慣れておらず、30になっても思春期の自意識過剰が継続中です。生まれた頃からそれが当たり前の暮らしならきっとコース料理なんて何のそのなのでしょう。
何なら好きなんだよ
好きな食い物について、このブログで検索してみたところ、「美味」と言及しているものは、
美瑛で電動チャリ爆漕ぎして食べたソフトクリームとコロッケとメンチカツバーガー
あたりでしょうか。洋食はコロッケとメンチカツバーガーくらい?
また、普段の食生活も
- 朝:プロテインのみ、たまに昨晩の残りの味噌汁
- 昼:チキンナゲットor冷凍鶏唐揚げ、カップ麺、豆腐、納豆、野菜の煮びたしなど
- 夜:色々(ご飯味噌汁主菜副菜漬物が多いが毎週金曜はカレー、土曜は寿司)
という感じです。
他に今パッと思いつく好きな食べ物は、
- マクドナルドのエッグマックマフィン
- よっちゃん酢漬けいか
- パクチー
- しば漬け(小学3年の頃から好きな食べ物欄に書いていた)
- いかくん(同上)
あたりでしょうか。嗜好品が多いですね。そりゃそうか
贅沢病(限界効用の逓減)
昨年の「回転寿司の特別感」という記事でも言及している通り、回転寿司にこの2年でおそらく100回は優に行っているでしょう。
子どもの頃は、回転寿司なんてのは繰り返しになりますが誕生日とクリスマスくらいの特別イベント。お盆で祖父母の家に行って、回転寿司で持ち帰りなんて頼むと「わーい!!!」と大喜びしていました。
ところが、今は毎週土曜日ははま寿司かスシローに行くのが当たり前の週課になってしまっています。限界効用の逓減、なんて経済学用語を使わなくても「1杯目のビールのおいしさを2杯目は上回ることはできず、以降コストに対して得られる満足度は減衰していく」ということですね。高級料理の価格がビッグマックの100倍になっても、その料理がビッグマックの100倍美味いかというとそういうことは決してありません。
端的に言ってしまうと、贅沢病なんですよね。学生時代は家賃込みで10万未満で生活をやりくりしていましたから、自炊が基本で週に1度のサークルで行く定食屋のご飯が美味でした。でも、今は毎食外食にすることだって可能です。ところが、そうしたら真新しさやありがたみは減りますよね。スマホをひとり見ながら飯を食い、SNSに「うどん」などと投稿するくらいしか楽しみがありません。かなしいですね。
本当の贅沢を知ってしまった
グルメについては、私が学生の頃バーグハンバーグバーグが投稿した記事、「正しいのはどっち? 第一回『グルメ vs 味オンチ』討論会!」とラーメンハゲが「情報を食ってるんだ」に影響を受けてしまっています。討論会の永田氏の「中身からっぽの人間が最後にすがりつくのがグルメ」という名言は、この数年後に多目的トイレ氏が大炎上したのを考えると、何とも言えない言葉です。
関連して、そもそも物質的に満たされ過ぎて、常に望むものが手に入りやすくなってしまった私たちは、その結果として却って精神的には満たされにくくなっている、永遠に消費しきれない消費財を目の前に、ひとつひとつを味わうこともなく、常にSNSとメッセージアプリに追われて、消費がノルマと化している、ということも思ってしまいます。
また、グルメもいわゆる「自己顕示」の手段の一つとなっており、「映え」グルメねえ、というヒネた見方をしてしまいます。私もいまだにFasPos経由でTwitterに「うどん」などと投稿していますが、本当に気に入ったものはそもそも写真を撮るという発想が無かったりします。人に見せたくない、という独占欲が働くんですかね。よくわかりません。
それに、2022年の礼文島の澄海岬で既に私は「本当の贅沢」を知ってしまっていますので、要は「空腹は最高のスパイス」「最上のソースは空腹である」という普遍的真理を実体験することで更に強化した、というのがグルメについての結論となります。
なので、一食数万の高級レストランや、高級食材にはあまり関心がありません(し、これはきっと薄給のひがみでしょう)。
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