人文系アカデミックポストについて

2021-09-28

説明

アカデミックポストについて書きましょう。

どこかの大学の大教室

いまだに本邦の社会では「文系」「理系」という大別が主流となっていますが、本記事では「人文科学」「社会科学」「自然科学」「応用科学」の4区分とします。

そして、本記事で触れるのは、私が経験した「人文科学」「社会科学」です。世の平均値・中央値よりは、アカポスの人に関わっている方だという認識があります。また、文系・理系という区分は日本だけですが、話を分かりやすくするために、「人文科学」「社会科学」を文系、「自然科学」「応用科学」を理系とします。

警察ドラマや医療ドラマが、業界人から見たら「んなわけねーだろw」となるように、象牙の塔こと大学のアカポスもそんな感じだったりします。

教授は研究しない

大学のアカポスの序列は教授>准教授>助教>講師であり、その下に博士後期(Doctor)>博士前期(Master)>学士(Bachelor)がぶら下がっています。で、それぞれ役割が明確に決まっています。

教授:研究室のボス。予算取りとか組織運営とか対外交渉とかが仕事で、研究はほとんどしない(ことがよくある)

准教授:研究の実質的なリーダー。研究できるのはここまで。研究室の主力として助教以下を働かせる。

助教・講師:お互いにあまり大差がなく、准教授の下で研究を進める実戦力。

博士後期:下手な講師あたりより研究は優秀だったりする研究室の主力。

博士前期:アカポスに行かない層がほとんど。研究室の予備戦力。

学士:お客様。

とはいえ、いわゆる理系と文系とでは研究室の考え方は大きく違ってきます。もちろん数学科や心理学科のように、例外は多くありますが、大まかな傾向の話です。

例えば、理系では研究室という単位が全てであり、教授を頂点とするピラミッド構造が形成されます。ですから、卒論・修論なんてのは、その研究室のボスである准教授、あるいは主力メンバーの助教や博士後期あたりから与えられたテーマをそのままやるだけです。

一方、文系はそのピラミッドがあまりなく、卒論から割と好きなテーマをやることができますし、修論も自分でテーマを見つけるところからスタートです。

博論は文理どちらも研究者としての登竜門ですから同じような過程を辿る一方、修論については下記の通り、文理で結構な差があります。

文系:自分でテーマを見つけるところから修論が始まる(=修論程度で自分でテーマを見つけられないというのは、そもそも何しに大学院来たの?となってしまう)。学会発表はしない人も多々いる。

理系:卒論同様、研究室で与えられたテーマを進めていく。学会発表が必須に近い。

卒論・修論・博論

それぞれこんな目安があります。

卒論:書いた内容のその分野について、大学内で一番詳しくなる。(=参加賞)

修論:書いた内容のその分野について、国内で一番詳しくなる。(=努力賞)

博論:書いた内容のその分野について、世界で一番詳しくなる。(=研究者としてのパスポート)

人文系アカポスの実情

情報系や工学系のようにお金が潤沢にある分野はともかく、人文系といったお金のない、金にならない分野というのは、非常にアカポス事情は厳しいです。独立行政法人になってからは、各法人ごとにコスパを徹底的に追及されますから、となるとコスパの悪い人文系は予算カットの対象になります。

私は学科で優秀な友人が2人おり、片方はストレート(修士2年、博士3年)で修了しました。ですが、彼は某都内私立大学で非常勤講師、出身校で非常勤研究員という肩書であり、まあ国際学会とかが無い分野なので仕方がないとはいえ、それでもほぼ毎年コンスタントに学会発表をして、査読あり論文を学会誌に載せていてもこれですから、まあ厳しいですね。それでも、私たちのように言語系はまだありがたいのです。英語学なら安定して一般教養の英語の需要がありますし、諸外国語は数こそ減りますがまだマシです。

ちなみにもう片方の友人はD4(博士後期課程4年)です。

時の運

かと思えば実績が劣る人が一発で某有名私立大のパーマネント採用だったりすることもあります。実績よりは結構運の要素、自分が博論を書き上げるタイミングで日本中に空きポストがあるかどうか、というところのほうが要素としては大きいです。

そもそも、実績というのも現代の科学は過度に細分化されていますから、どの候補者の実績が優れているか、な~んてのを評価するのは大変です。ですから、それよりは学会とか懇親会とかで広く顔を売っておくとか、こまめに勉強会やら若手の会やら地域で研究会やらをやって顔を売っておくとか実績を積むとかメディア露出するとか、そういう営業活動もアカポスゲットには重要かもしれません。もちろん査読つき論文を書く、という研究活動はMUSTです。

悲しいかな、現代日本で学者として生きていくためには、そういった同業者ギルド内での評価が極めて重要です。そして、そもそも現代社会においては、科学の目的というのは真理を追究するだけのものではなく、むしろ同業者ギルド間での評価上げゲームという側面も多分に含まれています。

自己紹介

Japan
sakurabar(さくらば)。1993年生まれ。修士(教育学)→中小企業でパソコンをいじる日々。ねこがすき。 お問い合わせはsakurabar0701あっとまあくgmail.comまで。 Twitter(@sakurabarss)のDMでも同じアドレスに通知が行きます。

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