夏も終わり
あっという間の9月です。基本的に
家にこもって画面を見続ける(仕事・趣味のどちらも)
図書館や本屋やブックオフやKindleで調達した本を読む
終業後に自転車に乗って近所をサイクリングする
近所のスーパーや本屋やショッピングセンターやホムセンを冷やかす
くらいしかやることがないので、時の進みがめちゃくちゃ早いです。そうか、これが「老後のお試し体験期間」か・・・。
ここ数日で、世の趨勢がまた大きく変わったような気がしますが、果たしてこのまま「元の暮らし」に戻れるのか、それとも相互監視による全体主義暗黒時代まっしぐらなのか、前者であることを信じたいです。
背中のコリで息苦しい
一昨日あたりから、なんか息苦しいというか、心臓の裏の筋肉がめちゃくちゃ凝っています。脊柱起立筋ってやつの左側だけ、ですかね。
姿勢が悪いのでストレッチをしているのですが、突然やってきたので、ちょっと不安があります。こういう不定愁訴ばっかで嫌になってしまいますが、できることはストレッチと適度な休息くらいなので。
新築の家
近所をサイクリングしていると、やっぱりまた新築の家がちらほら増えてきていて、人口がガッツリ減っているのに面白いな、と思います。
社会保険料の増大に伴って、可処分所得もまたがっつり減っていますが、この地方だとそもそも戸建を立てるくらいしかまともな家に住める方法がありませんからね。
マンションなんてのは駅前に数える程度ですし、そもそも移動のほぼ100%が自家用車ですから、駅に近い遠いというのは、本当にどうでも良い価値観なのです。
おそらく、この1年半で一度も電車に乗っていない人、というのが大多数なんじゃないでしょうか。それにしても、空き家がガンガン増えるのに新築の家もガンガン増えて、この先どうなっていくんだろう?という気持ちはあります。少なくとも、この地方で収入が得られる手段を確保すれば、生活することは可能ですね。
スマホ写真断捨離
私の持っているiPhone XR内には、2018年ごろから撮影した写真が13000枚くらい入っていたのですが、全てAmazon Photosにアップロードしたので、手元に持っておきたい画像以外は削除しています。ようやく6500枚まできました。
それにしても、こういう機会でもない限り、過去の画像をしみじみと見返すことが無いというのは、いったい何のために写真を撮ったんだろう?という気持ちすらあります。
写真を撮ることでその場その場の感動やら情緒やらを感じ取る力が弱くなっている、みたいな話を聞きますし、少なくとも「サークル全員で海岸をバックにジャンプしている写真」を嬉々としてアップしている人たちは本当の意味で充実はしていないだろうなあ、というのは思います。とか書くとやっかみみたいな感じで噛み付いてくる人がたまにいるんですが、それもまた人生で面白いですね。
バブルの外側
調べ物をしていたらうっかりTogetterのリンクを踏んでしまって、思わず読んでしまったのですが、「こんなものに何年も考え方を左右させられていたのか・・・・・・」と暗澹たる気持ちになりました。
「Twitterやめた人のブログ紹介」でも書きましたが、SNS(Twitter)は向いている人(狼)と向いていない人(羊)がいて、私は向いていない人だった、SNSに使われて人生を破壊される側の羊だったんだな、と思っています。
Twitterから距離を置くことで、そういったこと、バブルの外側からかつての自分を相対化できている、というのは大きいな、と思います。
SNSによるドーパミン依存
TwitterやFacebookのようなビッグテックのSNSはもちろんのこと、TogetterもYahoo!ニュースもダイヤモンド・オンラインも東洋経済オンラインもその他有象無象も、結局「PVが金になるから、クリックを誘発するよう扇情的なタイトルで読者を釣る」ということであり、注意経済(attention economy)ではそれらのサービスが無料で使える代わりに、私たちは自身の時間やら人間性やら幸福やらを彼らに売り渡して、衝動性・焦燥感・不安感を押し付けられている、という構図が見えてしまうと、「今までのは一体なんだったんだろう?」となるわけです。
また、今まではIngressという位置情報ゲームをやりながら、あるいは散歩をしながら気になることや写真を逐一Twitterに投稿したりしていましたが、そういったことをやめたら、そもそもスマホの通信量がめちゃくちゃ少なくなってて笑ってしまいました。具体的には、月に200MBも通信していないんですよね、スマホの4G回線で。ってことは、つまりそういうことだったんですね。気が向いたらFasPosで投稿だけはまた再開しても良いかな、と最近思いましたが、私がTwitter依存のループにハマってしまうのは、
- 投稿する
- →いいね!の通知が来ることでドーパミンがドバドバ出る
- →ドーパミンの奴隷になってスロットマシンみたいにTwitter公式アプリを何度も何度も、信号待ちでも電車待ちでもスーパーのレジ待ちでも何度も何度も、スクロールしてリロードしてしまう
- →それが人生の一部になってしまう、スマホがないと生きていけなくなってしまう、「いいね!」がついていることを確認せずにはいられない強迫観念に取り憑かれてしまう
なので、FasPosを使って一方的に投稿して、時間が経ったらリプライだけブラウザや専用アプリで確認する、みたいなやり方がいいのかな、と思います。
そういえば、気になっていた「280Blocker」が作者の体調不良で、企業に譲渡されたらしく残念です。サブスクモデルになるのか、フィルタのまめな更新はされるのか、もしかしたら今のうちに買っておくのが良いかもしれません。
思えば、 人生で最初に始めたブログは、そんなにドーパミン地獄じゃなかったかと思います。Twitter依存の本質は、やはり通知(ランダムな報酬を期待する)を強迫的に何度も見てしまうにあって、いかに通知に心を惑わされないかじゃないのかな、と思いました。
そのためには、今やっているように完全に離れる、というのが一番なんでしょうが、さすがに今までご愛顧いただいた方々を完全に寸断するのもどうかな、という気持ちもあるのが正直なところです。
追伸
今更になって、Bloggerの投稿画面で、「作成ビュー」と「HTMLビュー」を切り替えられることに気がつきました。もっと早く知りたかったよ。ということで、文字サイズやら何やらを、これからちまちま変更していく予定です。
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