登り切った梯子/Kindle Unlimitedを解約しました

2021-09-20

医療 雑記

最終更新:2021年12月3日

一年でも稀に見る、素晴らしい良い天気、雲ひとつない青空かつ温度も風も快適で、まさしく絶好の後楽日和だったことでしょう。

私はといえば、朝は恒例の朝散歩、その後は本読みをして昼食後に別の本を読んで午睡、 買い出しに行って、そのあと外に本を持って行って読んで、今まで登っていない近所の低山をまた一つついでに登って帰宅して、といった感じです。完全に楽隠居ですな。

 
↑近所の公園に曼珠沙華が咲いていました。茂みの奥の方で、複数の家族が車を乗り入れてテントやタープを張って野営していました。おれもかつては父の影響もあってかキャンパーで、大学時代は何度もテント泊をしていたんですが、東京に毒されてすっかり牙を抜かれてしまいました。死ぬまでに一回でいいからキャンプまたしたいな

河原から見た、普段より水量の多い渡良瀬川の流れ

↑ここ数日上流で雨がよく降ったので、いつも以上に水量が増えていました。

登り切った梯子

午後に『龍樹』を読みながら、なぜか本書の内容とは関係ないのですが、『論理哲学論考』の、「梯子を登り切った者は、その梯子を投げ捨てなければならない」(He must so to speak throw away the ladder, after he has climbed up on it.)という節をふと思い出しました。最初に『論考』を読んだのは高校2年の頃、良くも悪くもこういうものばかり読んでるから文学部なんかに行ってしまうんですよね。

で、その「梯子を投げ捨てる云々」の件で、今の自分に当てはまるのは、あるコミュニティのことです。

 

話を簡単にするために、私がアルコール依存症で、アルコール依存症患者の断酒コミュニティに足繁く通っていた、という仮定にします。現実はもっと普通の人には起きない、というか普通のルートではありえない展開の話ですが、それだけでKindle本が出せるくらい長くなってしまうので割愛します。

さて、2020年にアルコール依存症に気付いて、依存症から離れるために断酒コミュニティをたまたまインターネットで見つけて、毎月のようにそこに通い詰めていた「私」は、断酒に成功して何ヶ月か経ったところで、段々と断酒が当たり前になり、むしろどうして今までこんなものに依存していたのだろう?というところまできて、やがてアルコールに依存していたということすら忘れがちになります。ヒトが生きていく上で、辛い過去を忘れるというのは精神を守る上で重要な機能ですからね。そんなこんなで、コミュニティからもフェードアウトし始めます。自分が悩んでいた問題そのものを忘れてしまう、ということですね。『論考』でいうところの、「人は生の問題の解決を、その問題の消失によって気づく。」(The solution of the problem of life is seen in the vanishing of this problem.)ってところですかね。

 

そんなコミュニティの常連の1人、Yさんと、長く細々と連絡をとっていました。そんな彼は、今月コミュニティが開催されるから、さくらばさんも参加しないか、と誘ってきました。私はもう断酒して久しいですから、乗り気ではありませんでしたが、久々にその人と会って話をするのもいいか、と了承しました。

ところが、だんだん雲行きが怪しくなってきました。そのYさん、ある生活上の問題から、長年続けてきた断酒をやめたい、またアルコールが欲しくてたまらなくなってしまった、助けてくれ、もはや酒しかない、というところまで追い詰められてしまいました。依存症患者は、自分に降りかかる不安や抑うつから逃れようとして、スリップ(=再服用)を正当化しようとします。本心は再服用するか揺れ動いているのですが、「そんなにつらそうなら仕方がないね」と周りから背中を押してもらいたいから、そういった発言をするのかもしれません。

というような顛末になり、だんだんとこのYさんに会うのが億劫になってしまいました。自分より年上の人がスリップを正当化しようとする、溺れるものは藁をもなんとやらですが、そんな様を見てこわくなってしまった、というのが正直なところです。


で、ふっと思い浮かんだのが、「登り切った梯子は投げ捨てなければならない」ということであり、「依存症から脱却したのであれば、依存症コミュニティから離れなければならない」ということです。いつまでも属していていいところではないのです。

確かにさくらば氏が依存症に苦しんでいた頃は、この依存症コミュニティはまさしく病人・老人にとっての杖でした。しかし、脚の骨折が治り切ったのに松葉杖を使い続ける人がいないように、依存症から脱却してスリップがない人間が、依存症コミュニティに顔を出し続けるというのは百害あって一理なし、当時の辛い記憶を思い出させるだけではないだろうか?という懸念があります。

依存症コミュニティは、中には何年も何年も依存症のまま参加し続けている「常連さん」がいます。ご高齢ですから、もうそこまでいってしまうと、依存症から抜けるのが先か、お迎えが来るのが先か、といったところでしょう。

このコミュニティには大変お世話になりましたが、いつまでもいていいところではないのだ、ということを、『龍樹』を読みながら、ふと思ったのでした。

Kindle Unlimitedを解約しました

それはそうと、Kindle Unlimitedを解約したのでした。つまり、Kindle Paperwhiteを購入してから3ヶ月経ったということになります。

Kindle Unlimitedは購入特典で3ヶ月分ついてきたのに、それで10000円分以上本を読めたので、サイコーに元が取れている、という感想です。ただ、やはり自分には本のサブスクリプションモデルは向いていないな、やっぱり紙の本が至高にして究極だな、という感想になりました。

Kindle Unlimitedを体験することで、Kindleの持ち運びの至便さと同時に、紙の本、特に紙の漫画や講談社ノベルズやハードカバーの質感の素晴らしさを実感しました。そりゃ確かに新書とか一回読めば良い類の本ならKindleで十分ですが、ですが所詮その程度という感想であり、趣味の本をKindleで買うことはないでしょう。そういう意味で紙の本は嗜好品としてしばらく残ると思いますし、私がそうであるように近い将来急速な電子化に対する、ユーザーの反動が来るのではないか?という懸念があります。

自己紹介

Japan
sakurabar(さくらば)。1993年生まれ。修士(教育学)→中小企業でパソコンをいじる日々。ねこがすき。 お問い合わせはsakurabar0701あっとまあくgmail.comまで。 Twitter(@sakurabarss)のDMでも同じアドレスに通知が行きます。

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