健康診断について書きましょう。
私は当然のことながら医療の専門家ではなく、素人が私見を好き放題述べる記事になりますので、この記事を真に受けて何らかの損害を受けたとしても責任は追いかねます。
要約
- 健康診断は公共事業的性質
- 基準値は恣意的
- 健診が病気を作る?
- 生活習慣病薬は出しやすくやめにくい
健康診断は公共事業?
本邦で順当に会社員をやっていれば、毎年健康診断に行くことになると思います。
私ももちろんその一人であり、新卒の頃は今年の身長はいかほどかとかそんなことを気にしていました。
ですが、2019年度末に体調を崩し、その後も激しい波を経験しました。
その途中で自分で現代の医療について色々文献を漁り、あるいは有志の会合で意見交換をしたりして、1年近くかけてようやく落ち着いてきた身とすると、それまでのナイーブな健診観が一変してしまいました。
まず、健康診断というのは、公共事業的側面が強くあります。
健康診断というのは、労働安全衛生法に定められているように、企業が労働者に受けさせなければならない罰則付きのものです。
ですから、企業はそのための費用を確保して、健診を受けさせるわけです。
この健診、都内にお勤めの方ならご存知と思いますが、新宿や大手町や赤坂やその他主要オフィスが集積するところ・交通の要衝には必ず、健診専門のクリニックがあります。
健康な人間でも強制的に年1回は受診させることができますから、うがった見方で見ればそれは公共事業的側面がある、ということができます。
基準値は恣意的?
ところが、この健診の基準値というのが厄介です。
成人病が生活習慣病と名称が改められたあたりから、怪しい香りが漂ってきます。
その頃には、急性の病気を医療はあらかた克服しつつありました。
ところが、医療というのは不都合な存在です。
病気や怪我で苦しむ人を救うのが存在意義ですが、病気や怪我で苦しむ人がいなくなってしまうと、自分たちはおまんまの食い上げ、病院は潰れてしまいます。
理想に近づけば近づくほど自分たちの食い扶持が減っていく、こういう矛盾を常に抱えた存在が、医療です。
もっと多くの人に医療でお金を使ってもらうためには様々なアプローチがあります。
そのひとつが、「基準値を緩めて、治療対象を増やす」という方法です。
例えばよく話に上げられるのが高血圧です。
収縮期血圧(上)はかつて、180程度までならOKという認識でした。
1987年、旧厚生省は収縮期血圧の基準値を180と示しました。
しかし、2000年になると日本高血圧学会は「140/90」という基準値を出してきます。
血圧の分布は正規分布ですから、40も下がったら何百万もの人が治療対象となってしまいます。
2014年に日本人間ドック学会が、実際の健診データを元に、「140は厳し過ぎじゃないすか?」という提言を行います。
ところが、これに対して高血圧学会や製薬会社は猛反発します。「ヤブは黙ってろお前らは所詮健康な人間しか集めてないデータじゃないか俺たち専門家の知見に逆らうとは何事か」と猛攻撃します。
結果として、この日本人間ドック学会の意見は黙殺され、それどころか、その後収縮期血圧(上)の基準値は140から130に下がります。
現在日本で高血圧とされているのは約4300万人、子どもも含めて3人に1人は高血圧です。それが全て治療対象なのです。何かおかしくないでしょうか?
確かに日本人の死因の第2位は心疾患です。ですが、1位は悪性新生物(がん)、3位は老衰です。
また、内科の中でも循環器内科というのは花形中の花形です。
そんな循環器内科が、自身の勢力を増やすために治療対象=患者を増やすというのは、陰謀論でも何でもなく、当然の動きでは無いでしょうか?
そのくせ、基準値を下げたことによって患者たちが受けられる利得の研究、基準値を180と変えなかった場合と、140と変えた場合でどのようなベネフィットがあったか、という追跡研究は私が探す限りは見つかりませんでした(ご存知の方はお教えください)。
ということで、健診は基準値が恣意的に変更され、その結果治療対象群が急増する、という話です。
この治療というのも、結局「降圧剤飲みましょうね〜」「コレステロールの薬出しときましょうね〜」という程度で、薬が出されるだけです。
こういう生活習慣病の薬というのは、飲んでいる間は効きますが、飲むのをやめるとまた元通りです。つまり、いじわるな書き方をすると、何らかの死因でお亡くなりになるまでずっと飲み続ける、という形です。
ですから、家族性高コレステロール血症のような特殊例でもない限りは、薬を飲む前にやるべきことがあり、そうすることで医療費削減に貢献できますよ、という話です。
医者は健康を規定できない
日本人は健康診断が大好きですが、諸外国では健康診断は利益より害の方が大きいため、そこまでされていません。
そもそも、「病院とは不具合がある時に行くところ」という発想なので、「健康なのに医者に行って時間と金の無駄では?」という発想なのでしょう。
現に、健康診断のメリットについては、懐疑的な研究が多々為されているようです。
ところで、健康とは何でしょうか?
WHOの定義では「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱 の存在しないことではない。」とのことですが、これ、当てはまる人いるんですかね?
実際問題、健康というのは、主観的なものでありつつ、なおかつ病気「でない」状態のことではないでしょうか。
ところが、医者は病気のカタログを元に病名をつけ治療を行うことはできますが、健康は定義してくれません。
「何も悪いところありませんよ、運動してよく寝てくださいね」と薬も出さずに帰してくれる医者はめっきり減ってしまったことでしょう。儲かりませんからね、そんなことしても。
健康というのは、医者が定義するものではなく、あくまでも主観によるもの。
だから、たとえ持病があったとしても、生活に支障がなく、本人に不都合がなければ、それは「健康」と言ってよいのかもしれません。
なのに、どうして健康診断に行って、再検査なし、ちょっとコレステロールが高めですね、という健診結果の紙を見てホッとするのでしょうか?
人間ドックはもっと意味がない
健康診断の意義というのは、生活習慣病の早期発見という程度で、生活習慣を改めましょうね、という問題提起以上のものはありません。
人間ドックはその延長線上に過ぎませんから、手間と時間とストレスだけかかって、余計に意味がありません。
人間ドック「程度」ではガンは拾えず、専用のガン健診で何とか拾えるかな?というレベル。それだって取らなくていいガンを拾ってしまって、それで無益な治療で寿命が縮むなんて例もありうるわけです。
参考:https://www.asahi.com/articles/ASP563QKKP56ULBJ00B.html
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