カラオケについて書きましょう。過去の恥を掘り返す感じになります。また、後半で歌の好みについて言及しています。
カラオケ、苦痛なもの。
大学生になるまでカラオケというものにほとんど行ったことがありませんでした。家族で幼い日に行った気がするけど、あまり覚えていません。
よく青春ドラマやら何やらで、男女でカラオケボックスに入り浸ってうんぬんかんぬん、という描写があります。
ですが、私は男子校かつその男子校ですらほとんど友だちがいなかった、という悲惨な高校生活を送りました。
本当に、掛け値なしで、高校時代同級生、先輩、後輩と遊びに行ったことがたったの一度もありませんでした。
その頃に「やはりおれは人間として人格に致命的な欠陥があるのでは?」という、今にまで続く疑念が醸成されました。
水滴が頬を伝いながらこの記事を書き進めていきましょう。
その後、大学時代になって、ようやく友人ができ(よかったね!)、カラオケに行きます。
ところが、悲しいかな、中学時代からテレビを見なくなってしまい、流行りの曲なんてしりません。
ですから、アニメの主題歌とか、在学校とは全く関係のない大学校歌を熱唱する、という黒歴史時代です。
その後、大学院に入り、社交の幅が広がります。
社会人になると、さすがに飲み会からのカラオケというイベントは発生しませんでしたが、そのあたりになって「相手に合わせて歌う歌を変える」というテクニックが存在することを認識し始めます。
接待という概念
複数人から教えてもらったのですが、「イツメンと行くカラオケ」と「会社の上司と行くカラオケ」と「韓国企業の取引先と行く接待カラオケ」は、全く違う歌を歌うのだそうです。
驚きました。
いつも十八番を歌っていればそれで許されるのではなく、後者2つは「主役は上司や取引先であって、彼らが気持ち良くなるような振る舞いをしなければならない」のだそうです。
確かに営業さんとかならそれはそうですが、2010年代にそういった風習・慣習があるのだなあ、と感心してしまいました。もっとも、これは職種や業種によるでしょう。
また、これだけカラオケが人民の敵と叩かれているご時世がいつまで続くか分かりませんから、なんとも言えませんが。
卒業試験としてのカラオケ
接待で思い出したのですが、私が卒業した文学部言語学科の某専攻では、「卒業試験」と称して、教授の一人とカラオケに行く、というイベントがありました。
曰く、「教授が納得する昭和歌謡曲を一曲披露することで卒業とする」というものでした。
まぁ、という口実の卒業生への餞ということは知っていましたが、それにしたって同級生の手前、できませんとは言えません(女子の方が多い専攻ですし)。
一年以上前からその存在は知っていたのでドギマギしていましたが、よく考えたら、そもそも今の曲よりも昭和歌謡曲の方が知っている曲が多いです。祖父母や父がよく流していましたからね。
ということで、いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」と山口百恵「いい日旅立ち」で凌ぎ切りました。「いい日旅立ち」は保険として練習しましたが、案の定「もう一周!」となり、命拾いしました。よかったですね
どうやって歌を知っているの?
なんかすごく間抜けな見出しになってしまいました。
大学生でカラオケに行くようになってから、先述の悲惨なローテーションに恥ずかしさを覚えなかったというと、嘘になります。
みんなどうやってどこで歌を知っているのだろう?という話になりました。
しかし、少し考えればわかることです。
そもそも、私はTVを見る習慣が中学生の頃から死滅しています。部活と勉強とゲームと2ch徘徊で忙しいのに、TVなんか見れるかよ、というところで、それからそんな感じです。
そして、何より普段聞く曲というのが、「歌えない曲」なのです。
YouTubeやAmazon musicのプレイリスト、そして高校大学時代に聴いていたiTunesプレイリストを見てもそれは明白です。
クラシック(ラヴェル好き!)、インスト、ピアノジャズ、そして歌詞がついていても大体女声です。これでは歌えません。だめですね。
歌詞の取り扱い
そもそも論になってしまいますが、私は「歌詞が沁みる」とか「歌詞に共感する」というのがほとんどありません。好きなアーティストでも歌詞の内容は「わりとどうでも良く」、だから洋楽とかむしろ架空言語でも許容できてしまう、ということです。
例:マクロスのWANNA BE AN ANGEL
数少ない例外はキリンジの「愛のCoda」です。「赤に浸す 青が散る」とか「無様な塗り絵のようなあの街」とか、何食ったらこんな歌詞書けるんですか?という率直な感想しかありません。
ましてや、昨今の曲にありがちな恋愛ネタだと、テンプレというか、なんというか、はあそうですか、という感想になってしまいます。
はっきりと書いてしまうと、「歌詞はどうでもいいんだけど、あまりにも聴いていて恥ずかしくなってしまう」という感じです。
ファンの方には申し訳ないのですが、私は髭男のPretenderという曲で寒気がしてしまいます。
人間の本性が自己満足とはいえ、どうしても相手の選択を尊重するという自分に酔っているというか、自分を慰めている、としか思えなくなってしまい、恥ずかしくなってしまいます(共感性羞恥発動!)。
なので、極力避ける、という形になり、そして聞く曲はカラオケに入っていない曲ばかり、という感じになってしまいます。
しかし、そんな人間というのは世でも少数派。
大体は
- いつも聞く曲を歌う
- あるいは、カラオケに入っていない曲が好きだが、社会に適応して、「カラオケで歌う用の曲」を練習する
となっているのだそうです。
前者はコストパフォーマンスの点で最高ですが、趣味嗜好をねじ曲げるわけにはいきません。
年齢性別居住地といった個人情報が入っているAmazon musicのおすすめヒットチャートを見たら、BTS、YOASOBI、back number、髭男、あいみょん、ヨルシカ、サカナクション、Perfume、アレクサンドロスだそうです。精神が崩壊してしまいそうです。
ということで、必然的に後者となり、社会に適応するには「カラオケで歌う用の曲」を練習するとなります。
しかし、ここでもまた問題が発生します。
私が比較的好きだなあ、という曲は、私が生まれた90年代の曲。
「君がいるだけで」や「浪漫飛行」に代表される、カールスモーキー石井こと米米CLUBを「いいなあ」と思える感性です。
ここが青春だった今の30代後半〜40代には受けが良いですが、それ以下、つまり同世代とカラオケに行った時が地獄です。
だって今時の曲(20代後半なんだけどなあ)、ねぇ……
さて、私が同世代とカラオケに行くために社会性を発揮して、「カラオケで歌う用の曲」を練習する日は来るのでしょうか。
「若者のすべて」とか「高嶺の花子さん」くらいで勘弁してもらえませんか?(誰に聞いているんだ?)
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