この意見は全て筆者の個人的な見解であり、所属する組織とは無関係のものです

2021-08-23

メディア 雑記

最終更新:2021年9月2日

というような文言をSNSのプロフィール欄とか、ブログや記名記事に書いている人がちらほら見受けられます。

この発言からは、「所属組織の権威は欲しいが、組織への責任は逃れたい」という、ダブルスタンダードな助平心(すけべごころ)が垣間見えます。

本当に個人的な見解なのだったら、そもそも所属組織を併記し言及する必要がありませんし、なんならほとんどのインターネットの意見がそうであるように(このブログがそうであるように!)、匿名のアカウントを運用すればよい話です。

それなのに、組織の肩書きをぶら下げておきながら、権威だけ借りて、何かやらかしたら組織には言わないでね、というのは、あまりにも都合が良過ぎないでしょうか。

いくら本人が「個人的な見解であり組織とは無関係」と言おうが、組織名を出している時点で無関係ではありません。

ある高校の制服を来た生徒が、往来で大騒ぎをして捕まって、「この意見は全て私の個人的な見解であり、所属する組織とは無関係のものです」と言っても、いやお前制服着とるやんけ、といったところです。せめてやるなら私服でやって捕まってくれ、ということです。


話は変わりますが、同じくSNSのプロフィール欄とか、ブログや記名記事とかNewsPicksとかに、所属組織の役職とか修士(国際関係学)とかなんちゃらかんちゃら法人理事とかうんちゃらかんちゃら専門医とか色々肩書きをぶら下げている人、これも最近は「すごいなあ」ではなく、「哀れ」に思えてきます。

どことは言いませんが、某新興宗教の某えら〜いお方が「名誉博士号」をいくつもぶら下げているアレに通じるものがあります。

エビデンス至上主義について」でも関係することに言及しましたが、こういった人たちは権威主義的であり、「これだけえら〜い俺様の意見を聞け!この愚民ども!」という心理があるのでは?と推測します。

(最近では無くなりましたが)名刺を頂くときも、なんちゃらかんちゃらと色々肩書きとか資格とか書いてある人よりも、ただ「公認会計士」とだけ書いてある人の方が、「オッ」となりますよね。


「個人的な見解」ダブスタさんと、「肩書きいっぱいぶら下げ」さんに共通することは、恐怖心、です。

結局、自説が本当に妥当のものである、と確信しているなら、「個人的な見解〜」といった弁解も、ぶらぶらといくつも肩書きをぶら下げることも、不要なわけです。


プログラマーの世界だと、社名とか役職名とか学歴とかは割とどうでもよく、なんなら本名すら不要です。

自分でつけたハンドル名(ハンドル名ってのももう死語だな)と、実績・実力が結びつきます。「ああ、あのXXXさん、今は〇〇社にいるんだ、ふ〜ん。そろそろフリーに戻るんじゃない?」みたいな感じ。

「なのに、個人的な見解という言い訳とかたくさんの肩書きを抱え込むのは、その組織・肩書きという権威なしでは支えられないような、脆弱な、頼りない論説であることを、何よりも自分自身がご存知だからなのでは?と思います。

また、後者の肩書きぶら下げさんは、その肩書きを手に入れるためのサンクコスト(埋没費用。損切りしても戻ってこないお金)的な側面もあって、「これだけがんばったんだからぼくはすごいんだぞ!どうだ!ぼくをほめろ!ひれふせ!」的な心理があるのかもしれません。どうでもいいですね。

自己紹介

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sakurabar(さくらば)。1993年生まれ。修士(教育学)→中小企業でパソコンをいじる日々。ねこがすき。 お問い合わせはsakurabar0701あっとまあくgmail.comまで。 Twitter(@sakurabarss)のDMでも同じアドレスに通知が行きます。

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