猫について

2021-08-12

生活 説明

猫について書きましょう。プロフィール欄にわざわざ書いておきながら、今まで書かなかったのは失態でした。



動物嫌い


動物が苦手です。動物よりは人間の方がまだなんぼかマシ、という感じです。そうでもないな


ですから、動物園というところが不得手です。上野公園を何十回と訪れているのに、上野動物園の中に入ったことすらありません。地元にそこそこの規模の動物園(※1)があるのですが、そこも久しく行っていません。


※1:地方都市なのに、無料でライオンやアミメキリンやフラミンゴやペンギンが見られる。幼い頃はゾウもいました。


ただし、その例外が猫です。


どうしてなのか、論理的な理由は思いつきません。小さい頃から猫好きで、年を経るごとにだんだんと動物が苦手になっていったのだと思います。接触機会が少ないのもあるのでしょうか。




犬猫大論争


犬派か猫派かという話はしばしば話題に上ります。こんな記事を書いているから、断然猫派なわけですが、それにも増して犬が苦手で消去法的、という側面もあります。


原因は幼稚園児の頃、団地で獰猛なゴールデンレトリバーに噛まれ大怪我をして、それで完全にトラウマになってしまった、というところでしょうか。ですからいい歳をして犬が吠えると後ろに飛び退くような性格になってしまいました。


猫はその点、引っ掻くなどの実害はありますが、基本的に触れなければ害をなすことはありません。


気まぐれな存在というか、丸みと毛が好きなのかもしれません。あと、人間がいなくても普通に生きられて、野良猫は最期を見せない、というところにも潜在的に魅かれているのかも。




飼う気はない


猫に限らないのですが、ペットを飼育する気がありません。実家は金魚とカブトムシ・クワガタ程度しかダメで、それも露店で掬ったのを寿命まで父親が面倒を見る、という感じでした。

その影響か、あるいは私自身に「身軽に暮らしたい」願望があるのかもわかりませんが。


かっこよく書くと「生命に責任を持てない」といったあたりでしょうけど、立場がその人を作る、という考え方、生き物に教えられる、という考え方もありますし、その辺りは微妙なところです。


自分の面倒で精一杯なのに、ましてや他の命なんて、ということにしておきます。



散歩の楽しみ


東京の拙宅近くは、おそらく野良猫を餌付けしている人間がいるため、野良猫がちらほらと見受けられます。

そういう猫を何ヶ月もスマホで撮影していると、大体行動パターンが見えてきます。「お、あそこのねこやんな」というのが分かってきます。



ちびたの話



まとめに代えて、ちびたという猫の話を書きます。私がキジトラが好きなのは彼の影響です。


ちびたは祖父母宅にいつのまにか居着いた野良猫です。


祖父母宅は酒屋をやっており、また、その頃は祖父母宅まで車で1時間くらいかかりましたが、1ヶ月に1回行けば良いかな、という程度でした。

ちびたはお店の常連さん達(※1)の足元にいつもいました。


※1:ご近所の、昼から店の中でタバコを吸い一杯やっているひとたち。田舎のサロン的な感じですな。父が祖母の葬式でその様を「〇〇大学(〇〇には町名が入ります)」と挨拶していたのを今でも覚えています。


椅子の下が定位置で、そこでキャットフードやら常連さんたちがくれたつまみやらを食べてちびたはすくすく育ちました。


そんな日々が続くと、ちびたはどんどんおおきくなって、名前はちびたですが、すっかりデブになってしまいました。


でも、そんなちびた、かわいかったんだよなあ。




ちびたは、祖父母宅の裏の村共同墓地に眠っています。我が家の墓のすぐ前のこんもりとしたところです。


その後、祖父も祖母も亡くなり、二度と店のシャッターが開くことはありません。





自己紹介

Japan
sakurabar(さくらば)。1993年生まれ。修士(教育学)→中小企業でパソコンをいじる日々。ねこがすき。 お問い合わせはsakurabar0701あっとまあくgmail.comまで。 Twitter(@sakurabarss)のDMでも同じアドレスに通知が行きます。

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